野村川湯YH 「音」の思い出 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

「音」の思い出

連載「音」の思い出

音に囲まれた私の暮らし
フォーリーブスのノリ(小林のり子)

防音を施した我が家の音楽室には、ギター、ドラム、ピアノ、キーボードなどが所狭しと置かれ、バンド活動の拠点として、音楽を練習する場となっています。

音楽好きな夫と共にバンドを結成していて、ベンチャーズやポップスを中心としたグループ、他にもフォークソングやニューミュージックを唄うグループ、ふたつのいわゆるオヤジバンドではキーボードを担当しています。これまで地元自治体のイベントやお祭りなどでは、文字どおり私たちの青春ナンバーを演奏しています。しかしながら、コロナ禍の現在では、残念ながら発表する機会さえありません。

ギターを抱え唄う夫。彼はカホン(打楽器の一種)に座り、足でリズムを打つ。はたまたハーモニカも吹く。1人3役を同時にこなすのだ。時にはドラムを叩きながら、唄うことだってある。そんな彼と一緒に、私はキーボードで参戦。これからもボケ防止と思いつつ「ドレミファソラシド♪」と、奏でていきたいと思っています。

私と音楽との出会いは、小学生の時にピアノを習ったことがきっかけでした。中学校では吹奏楽部に入部し、クラリネットを吹いていました。上手く音が出せず、「ピーッ」という雑音が出るのが常でした。

しかし、吹奏楽の部活動と週に5日の珠算教室は、時間の関係上両立ができず、小学5年生から習い始めたそろばんを選びました。+ − × ÷ √ を「パチパチ」とはじいていましたね。段位を取得したので、高校時代には珠算教室でアルバイトをさせてもらいました。初のアルバイト代で購入したのは、ワンタッチ式のそろばんです。週に2日の教室では、読み上げ算を「ねがいましては……」と、唄い上げていたものです。

また高校では、ギタークラブへ入部。映画音楽、歌謡曲などギター合奏を経験しました。ぎこちなく、「ポロンポロン♪」とつまびいていましたっけ。

短大生になってからは、地域の音楽サークルに参加し、クラシック、ポピュラー、リズミカルなラテン、あらゆる音楽でギターとアコーディオンを担当し、仲間と共に楽しく音楽活動に没頭していました。練習の後には決まって「カンパーイ!」と反省会で盛り上がるものの、思うほど上達はしなかったなぁ。

そして私の、もうひとつの趣味は土いじり。季節の花や野菜を育て、家庭菜園を楽しんでいます。今日の酒の肴は何にしようか? などと考えながら、旬の野菜を収穫します。鋏で「チョッキンチョッキン」とね。あっ、ここにも音がありました。

これからも体力が許す限り……音楽室と、My畑が織りなすハーモニーを紡いでいきたいです。■

コメント

  1. 真。 より:

    音楽と共にある人生は豊かだよね。羨ましい~!

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