野村川湯YH 「音」の思い出 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

「音」の思い出

連載「音」の思い出

深夜、しーんと静かで、なにも聞こえない、と思ったら、遠くの方から、微かなクラクションが伝わってきたり、時々は、自らの放屁の音の高さに、ビックリすることだってあるし。

電話の着信音、人の話し声、鳥のさえずりや風の音、瀬音。イビキやため息、靴音に笑い声、夕焼けの空に流れるドヴォルザーク……。人が生きていれば、いつだって音が伴います。音は、だから命の滴みたいなものかも知れません。

「音」にまつわる思い出を、語ってもらいます。

 

上野の森で
真くん(堀 真也)

 

上野発青森行き「急行八甲田」。出発の19時08分までは、だいぶ時間がある。暇つぶしにアメ横にでも行ってみることにした。クリスマスも過ぎた年の瀬のアメ横は、押し潰されそうなほど人で溢れている。年季の入った濁声の店の親父、甲高いお女将さん声と商店街のスピーカーから流れる唱歌「お正月」。活気か喧噪か、買い物客ではない私にとっては、ただただ騒がしいだけの場所だ。そんなアメ横を抜け出し、上野公園の西郷像の近くにあるベンチに腰を下ろした。ここは静かだ。

いや待て、何の音だ? 「バリバリ、バリバリ」少し離れたベンチから聞こえて来る。みすぼらしいスーツにノーネクタイの痩せた中年男が、一心不乱に何かを食べているのだ。足元には新聞紙、その中に何かを吐き出している。「バリバリ、バリバリ、ペッ、ペッ!」何を食べているのだろう、すごい音だ、きっと丈夫な歯に違いない。私はその男を「バリバリ男」と呼ぶことにした。

やがてバリバリ男はその何かを食べ終わったらしく、ふらふらと立ち上がり歩いて行った。もちろん私はその正体を知るべく、バリバリ男が片付けもせず残していったベンチの足元にある新聞紙の中を覗いた……!「蟹」だ。

バリバリ男はそこそこ大きな茹でた蟹を、まるごと一杯食べていたのだ。バリバリ音は甲羅を歯で砕く音だったのだ、いや甲羅ごと食べていたかもしれない。しかし、よほど今すぐ食べたかったのか、家では食べられない事情があったのか。ドヤ住まいで周りの視線が気になり、さすがに蟹は持って帰れなかったのか。どれにせよこの寒空の公園でひとり蟹を食べきったことで満足したのであれば、よかったねと言うべきだろう。

私は「バリバリ男」ではなく「蟹男」と呼ぶことにしたが、やはり「バリバリ男」の方がしっくり来るとすぐに思い直した。それと同時に年末の凍える公園で、無心に蟹を貪るヨレヨレスーツの寂しげな男に、そう遠くない自分の姿を想像してしまったことに、しばし固まってしまった私であった。いやいや止めよう、寒さと空腹のせいで少しナーバスになっただけだ。気を取り直し上野駅地下食堂でラーメンすする、蟹ではない。

さあ明日は北海道だ、ウキウキな気分で列車に乗り込む私はふとつぶやく「バリバリ男」に幸あれ。

そんな1978年12月29日だった。真。■

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