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イン岐阜+ホーセーの焼香会

K-Report

 

大陸からやって来たウイルスは、ちっとも勢いが治まらず、しかも豪雨が岐阜県飛騨地方を襲って、一時、開催はどうなるか、と、気を揉ませた「イン岐阜+ホーセーの焼香会」は、予定通り開催(2020年7月11~12日)され、無事に、終えました。

■小鮎の塩焼きの苦み

 

西から、キリンとネズミが野を越えて駆けて来て、東からは、キンタが夜行バスで、喋りっ通しのランサーは3人を乗せ、幸い、大きなトラブルもなく、フッコ宅(岐阜県関市)に集まりました。

 

宴会がはじまる前に、全員揃って近くにある無芸川温泉に出掛けます。出発前にフッコから、温泉施設へのチェックインの仕方、岩盤浴の利用方法、ロッカーの鍵の扱いなど、面白可笑しい説明と注意があり、すでにミーティングのはじまりです。

 

今回の移動には、西部オートの社長・ギフが、どこかの筋から10名乗りのハイエースを調達してきてくれて、これがとても重宝し、大助かりでした。

温泉に向かう途中、雷が鳴ったりして、本格的な土砂降りになってきました。橋を渡った長良川の支流・武儀川は、泥色の濁った水が満ちていて、水煙さえ上がり、ちょっと怖いほど。

でも、みんなで乗って騒いでいれば、なんとなく豪雨も平気だし、つい強気にもなり、快適でした。座席から見た風景は、まるでいつか、あの日のユースのバスのなかのよう……。

サッパリと汗を流してフッコ宅に戻って来たら、すでにテーブル・セッティングが終わっていて、美味そうな百合子さん(フッコの奥さま)の手料理などが、ところ狭しと並んでいました。

酒好きのヤツらは、まだ「カンパーイ!!」もしていないのに、勝手にビールなんかを開けて、もう宴会が、部分的にはじまっています。

テラスでは、炭火が熾され、ギフの用意してくれた地元産の大鮎と小鮎を塩焼きにしていきます。これらの鮎はギフ自らが釣って、真空パックにして保存してくれたものといい、なんと、小鮎を焼いて食べてみると、ほどよい苦みがあって、これが美味いんだよね!

キリンは、鵜が吐き出した鮎ではないと知って、安心して、汗を流しながら鮎に食らいついていました。

 

■次々と、誰かに手渡される「大瓢箪」

 

……すでに酔ったり、騒いだりする輩もいて、収拾がつかなくなりかけていました。

そんな絶妙のタイミングに、フッコの音頭で全員が着席し、時節柄、コロナ(ビール)で、改めての、本当の、カンパ~イ。

酒類は各種たくさんあって、真くん提供の芋焼酎「魔王」までもが用意されており、切に、誠に、恐縮しながらも、飲ん兵衛なゲストたちには、たまらないようですねえ。

あちこちで酔漢たちが、ゲラゲラと大笑いし、下ネタをいい放ち、赤くなり、汗し、いつものように、座はどんどん乱れていきました。

はっきりとしない将来をなんとなく憂うよりも、それよりも、今を思いっ切り生きよう、今をしっかりと愉しもう、という感じなのでしょう。こうして川湯仲間と騒いでいる居心地のよさの正体はなんなのか、なんて、もう、どうでもよくなります。

全員が、完全に酔っ払ってしまう少し前に、フッコと真くんから説明があり、記念品が用意してある、とのこと。

……記念品? フッコの趣味は、なんと瓢箪作りで、あの、七味唐辛子を入れたりする、腰のくびれた瓢箪に、そこに真くんが、ガイコツのイラストを描いたものが、各自に手渡されるといいます。

ただし、駄菓子屋の糸引き飴のような「糸引き瓢箪」になっていて、どんな絵の、どんな形の瓢箪が当たるかは、引いてみるまではわからない、という段取りだとか。

ひとつ困ったのは、なかに70センチほどの、とても大きな瓢箪があって、これを引き当てたりすると、持って帰るのも面倒で、恥ずかしく、家のどこかに飾っておくとしても、家族の理解と協力がややこしくなりそう……。たぶん、押入れか、倉庫にでも保管するしかないのかなぁ。

フッコの説明によると、その大瓢箪のなかに、今、ここに集まっている人たちの気持ちや、感想、夢や希望や、個人的な秘密の告白なんかを、七夕の短冊のように書いてなかに入れ、いつか、何年か経ってから、それを開けてみんなで読もう、という趣向なのだそうです。……みんな、なにを書いて入れたんだろう。

それで大瓢箪は、半ば強制的に今回はキリンが姫路市まで持って帰り、次回の「イン○○」など開催時に、次の誰かに保管者として手渡されますので、要・覚悟のこと。

■筋肉質バニーの色っぽさ

 

宴たけなわの頃合いに、ハッピーバースデーを唄いながら、フッコがケーキを運んで来て、やおらナガサカの前に置きました。

ちょうどナガが7月10日生まれで、しかも還暦と重っていました。それを知っていたトモノから、この席で誕生会をやろう、と、密かに提案があったのです。ついでに、定年退職と再就職祝いも兼ねて、祝うのはいい。しかし、ただケーキを食べるだけでは、面白くない、と、悪巧みしたのもトモノなのですよ。

やがて部屋が暗くなり、ロウソクの火を、ナガサカが吹いて消したと思ったら、今度は奥から、約束通りバニーガールに扮した真くんが、生クリームの盛られた皿を持って登場。一同、弾けるような、大笑い。

真くんバニーはとても筋肉質で、しなを作れば作るほど、気色悪くなるのに、真くん自身の満更でもない様子が、さらに爆笑を誘ったりして。ここまで体を張るって、なかなかできませんよねえ。

ナガサカは、バニーちゃんから、顔に生クリームを押しつけ塗られても、なお満足げに、ヘラヘラと、ずーっと笑ってましたから。

■川原町ぞろぞろ

 

そうして大騒ぎした夜が明けた朝、なんと豪雨は去って陽射しが戻り、昨日とは打って変わって青空までもが現れて、じりじりと暑いのです。

そんななかを真くんに先導されて、金華山の麓にある岐阜公園から長良川に向かってぞろぞろ、だらだらと歩き、川原町界隈を散策しました。

ここ川原町は、戦国時代に起源があるとされ、江戸時代には長良川河畔の港町として発展したという歴史ある街道で、渋く建物が残されています。折しも、岐阜市は大河ドラマのひとつの舞台にもなっていて、「麒麟がくる」(主演・長谷川博己)と、街角のあちこちにある幟旗に大書されています。

きっとそれを見て気分をよくしたのか、こっちの長谷川キリンは、もし今度、イン岐阜が開かれたならば、「オレが鵜飼い船を一艘、貸切ってやる」とか、いってました。キリンに二言はない。大体、定員は20名ほどだそうです。

■淡く踊る光

 

ランチの後、皆で、一路、名古屋市内に向かいます。本年4月に、早くも1周忌を迎えたホーセーに会うためです。

さっちゃん(ホーセーの奥さま)から、お寺に寄るよりも、ちょうど娘(ホーセーの長女・千尋〈ちひろ〉)と初孫(正真)も家にいるので、ぜひ、自宅へどうぞ、と誘われたのをいいことに、焼香におじゃまするツアーを企画したのです。

 

あまりに突然の、哀しい旅立ちだったこともあって、驚きばかりが先行し、しばらくは気持ちが追いついていきませんでした。

思い浮かぶのは、写真文集の出版記念パーティのときの、ホーセーの笑顔だと、みんながいいます。

千尋は、テツヤは別として、父の川湯の仲間に会うのがはじめてなので、自己紹介しがてら、ホーセーとの思い出など、ひと言ずつ添えて、全員で、順に挨拶しました。

知らなかった出来事、聞いたこともなかったエピソードなどもぽつぽつと出て、人と人のつき会いって、想像するよりもずっと深いんだな、と、感心したりしつつ。

ネズミが、正座に座り直して深々とお辞儀しながら、「ネズミと申します」という丁寧な挨拶がはじまると、可愛らしくもあり、また場違いのようでもあって、印象に残りました。

後からテツヤからは、ここでの自己紹介が一巡したら、フッコにリードしてもらって、ホーセーへの弔いとして、「旅の終わり」をみんなで唄う予定だったんだけれど、寂しくて、または辛くて、ちゃんと唄えそうもないのかな、と思って、止めたんだよ、と聞きました。確かに、そうだったかも知れないな、と私も思いました。

短い時間だったけれど、濃密に、それぞれの思いを胸の奥に鎮めて、ホーセーと向き合うことができた、有意義な、いい時間だった感じました。

ほわりと微笑むホーセーの遺影が置かれたその部屋には、ずっと心地よい風が吹き抜けていて、なんとなく湿っぽくなりそうだった雰囲気を、幼い正真の泣き声が蹴散らしてくれました。そしてその風のなかには、淡く、光も踊っていて、本心をいえば、岸を離れる連絡船を見送るみたいな、そんな気分もありましたね。

私は心のなかで、沖に出ようとする船に向かって、小さく、でも、しっかりと手を振り続けました……。(わ)

コメント

  1. obake より:

    in岐阜の様子が手にとるようにわかりました。
    ホーセーさん宅で、「涙したひとが少なからずいた」という話に納得。
    文を読んでいてもジワジワきました。
    でも、ホーセーはいつもの笑顔でその場にいたんでしょうね。

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