野村川湯YH ニッポン漂泊記 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

ニッポン漂泊記

ニッポン漂泊記
急行列車の旅は、遠く帰らず
カメラ魔(川井 聡)

現在15:10分。

羽田の専用滑走路から、プライベートジェットで女満別空港に向かっている……ウソだけど。

それにしても北海道は近くなった。かつては直角椅子に10時間以上、何てことはザラだったし、新幹線なんてぇものももちろんない。特急なんてものがあるのは噂で聞いてたけど、よっぽどヨユーがないと乗れるわけがない。ヒコーキに乗るヤツがいるなんて信じられない!

だから、自動車とかバイクとかで移動してる連中は、「しびっく」とか「らんさあ」とか「じむにい」なんてその名前で呼ばれたりすることもあった。といってもチャリで回ってる連中に「ぶりじすとん」とか「みやた」とか「まるいし」とかつけてるのはあまり聞いたことがないから、結局はそのクルマの存在感だったんだろうけど。

「あのころ」のメインはやっぱり、急行列車だったんだと思う。何しろいっぱいあったんだもの。大阪からの「きたぐに」。東京からは「とわだ」「はっこうだ」「つがる」短いのも入れたらいっぱい走ってた。とはいえ、列車名がニックネームになってるやつは見たことない。あまりにも多数派だったし、列車からはとっくに降りちゃってるし。もう個性でもなんでもないんだから。

ともかく急行は安くて使いやすかった。季節になると混むからボックス席に4人になることなんかは当たりまえ、というより、場合によっちゃ5人で座ってるグループもいたし、廊下やボックス席の間は「寝台」車として、貴重なスペースだった。

「何両か前の方に行くと、本物の『寝台車』がある」とか、「ひとり1席が確保できる『指定席車』がある」という噂も聞いたが、あれは都市伝説だったのだろう。たまに「そういうのに乗った」というのもいたが、きっと幻を見たのだと思っている。

そんな窮乏生活の中で、いったい車内じゃ何を喰っていたのか? じつはその辺の記憶があいまいなのだ。あまり食べ物に重きを置いていなかった。質より量、安いは正義! だったし。そんななかでもキングオブキングは駅弁。次いで菓子パン食パン、ゲストキャラは、立ち食いソバと海峡ラーメンだった。いくら日常生活でインスタントラーメンに愛されていても、当時のホームにコンビニはないし、カップヌードルはもちろん、カップジョリックも高級品。だいいちお湯が手配できないから持ち込んだって意味はない。ちびろくラーメンを齧ったような記憶があるけど、あれはホントにやったのかどうなのか、もうおぼろげの彼方だなー。

そう言えば、水はどうしてたっけか? ペットボトルがそろそろ出回り始めてたけど、コーラみたいなのばっかり飲んでるわけにもいかないし、だいいちアレはアレで後からノドが渇くという、不思議な飲み物だった。駅の停車時間にホームの水飲み場で水を飲んで、お茶のポリ容器にわずかばかりの水を入れに行ってたことは覚えてる。けっこう我慢してたんだろう。なにしろ当時の社会の「水」に対する考えはムチャクチャ。体育会系では「水は飲むな! 体が疲れる! 根性で我慢しろ!」という、今じゃ信じられないのがジョーシキだった時代。列車の中でも少々水を飲まなくても我慢が出来た(気がする)。まぁ、若かったからだろうけど。

いまにしてみりゃけっこう悲惨なんだけど、急行の旅は楽しかった。「長い」とか「時間がかかる」とか言いつつ、早すぎないのもちょうどよかったのかもしれない。

初めてヒコーキで帰った時に、アマリの速さに北海道から帰ってきた気がしなくってイライラしたものだ。国内時差ボケするのである。

今、JRで走ってる「急行列車」はすでに1本もない。別にコロナのせいでも何でもなく、2016年3月26日に青森―札幌の「はまなす」が廃止になって、定期の急行列車は消滅しちゃった。でも、JRの時刻表には今も律義に「急行料金」が掲載されてる。走ってないだけで、急行は今も存在してるのである。

そんなことに気が付いた人がいたのか(いや、きっとチガウと思うけど)、2021年の初夏、北海道に急行列車が復活する(らしい)。

つっても全車指定だしディーゼルカーだし観光列車だし、つまりかつての「急行」とは趣旨も趣も異なるけど、それはそれ。「あの頃」北海道を走ってたディーゼルカー(もうすぐ全車引退予定)で宗谷本線を走るのは、けっこう気持ち良いかもしれない。それにひとつはトロッコ車輛なので、換気の良さは保証済み。

「でもそこまでのアシが混んでたり気密だったら心配」という人はもちろんいると思うし、自分もそこは気になる。

そういう時には、プライベートジェットでの旅をおススメいたします。■

 

コメント

  1. でんちゃん(新田 紀男) より:

    急行なくなりましたね合わせて長距離鈍行もなくなりJR線は新幹線の延伸とともに次々と3セクへ、各地の本線からはボックス席列車も消えました。普段の生活でも携帯、ネット、SNSなどどんどん便利に高速になっていく。便利さを享受してもらいつつ「何か違う?」「これでいいのか?」ときおり頭の中がぐるぐる回る。
    旅や山に行くときもコンビニも24時間営業の店も増えて便利になった。本当に助かる。
    フランスパンと魚肉ソーセージを持ち、米と缶詰、コッヘルを持って歩かなくていい 楽になった。
    でも鈍行、歩き、手紙 時間がかかることはそれなりに味がある。
    若い頃は山も高い山、険しい山に憧れた。でも今は里山のような低山でも花の移り変わりや新緑、落葉など季節の移り変わりを見ながら歩くのも楽しい。 歳とったんですね。

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