その4
奥奥八九郎(おくおくはちくろう)温泉
下関(一柳 仁)
(秋田県鹿角郡小坂町)
入湯/2012年7月
源泉掛け流し
湯温/約44度
泉質/炭酸水素塩、硫酸塩泉など
今でこそ、情報の拡がりやすさもあって、全国にある野湯(のゆ、やとう)が知られるようになってきた。秘湯なんて場所も、もう残り少なくなってきたような気がするしね。
たまたま、八九郎温泉の奥の、またその奥の方に、野湯があるらしいと知ってね。それがずーっと、どっかで引っかかっておったんよ。
だからね、東北を廻った際には、訪ねてみたいと前から思っとってさ。
この東北の旅も、もちろん奥さんと一緒やよ。……そんなこというてしまうと、仲がええって、またいわれるだろうけどさ、ほんなら聞きたいんやけど、皆さんの家は、仲が悪いの? ウチは、ふたり一緒に長期の旅に出るくらいの、そのくらいの仲なんよね。これって、普通なんやないのかなぁ。
まあね、俺が辛抱強いからだ、という人もおるが、そうでもないのよ。確かに、俺はあんまり喜怒哀楽を現さないし、ぼーっとしたようにも見えて、ホントに楽しいのか、哀しいのか、表情を見てるだけでは、分かりづらい男らしいけどさあ。
いつだったか旅先で、じわっと腹が痛くなったことがあった。最初はむかむかして、みぞおちの辺りに違和感があり、そのうちに飯も食べられんようになったねえ。2日くらいして下腹部から全体に痛みが拡がり、どんどん酷くなるし、微熱もあったんかなあ。
でもね、脂汗を流しながらもひたすら車を走らせて、奥さんには1度も痛いとは、訴えなかった。元々、能弁なタイプでもないしね、酷く痛むのでますます寡黙になっていったんかなあ。やっぱり俺って、我慢強いのかな、それとも頑固なんかもなあ。あぁ、もう限界やと思って、旅先で緊急手術したんよ、腹膜炎になりかかってたみたいで、盲腸やった。
……そんなことよりも、奥奥八九郎温泉でしょう。
集落を通り越し、町屋が途切れてなお車でしばらく走ると、だんだん山の中に入って来る。道路はいつの間にか未舗装の林道へと変わり、先までずっと隘路が続き、まだこのまま進んでもええんかいな、と案じはじめた頃、道のすぐ脇に赤茶けて湿った土が露出する開けた空間に辿り着いた。
誰が置いたか、簀の子が1枚あって、そこで全裸になる。囲いのようなものはなんもなくて、もし車が通ったら丸見えだが、野湯ではそんなことには構っておられんし。
湯に入ってみると、なかなか熱くて俺好みやった。足許から、ぼくぼくと源泉が湧いていて、底はヌルっとした感触。体をつつくような刺激や、炭酸のアワも上がってきてさ。そうやねえ、ここもええ湯やったよ。
どんな温泉でもそうなんやけど、その湯を堪能した、と思ったらさっさと上がるのが、俺の流儀なんよ。時間に頼って入るのもよくないし、なんやかんやとしたり考えたりして、湯から意識を離すのももったいない。湯に浸かり、……よっしゃあ、と俺が感じたその時がね、この湯を堪能した、ということになる。
その時というと、一瞬と思われるかも知らんけれど、束の間はね、長くも短くもあり、永遠にもなる、ということ。だから時を気にして湯に浸かっていては虚しいし、感覚だけを頼りにして浸かり、湯を堪能しようとするんやろうかね。なんでもそうだろうが、時機というもんがあるんかも知れんねえ。
よしっ、と、その湯の正体が分かったと感じたら、躊躇せずにすぐさま上がってしまうんよ。とかいいながら、まあね、たまにポーズなんかしちゃって、未練がましく記念写真を撮ることもあるよなあ。でも、それがあるお陰で、こうして記事にもできるんだしさ、たまにはええやろう?(談)
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