カイバル峠への緊張
ペシャワール/Peshawar(パキスタン)
ナガサカ(長坂 肇)
[旅のデータ]パキスタン東北部の奥、アフガニスタンとの国境近くにペシャワールはあります。カラチからだと空路で2時間ほど、首都イスラマバードからならバスで2~3時間の距離です。現在の人口は約200万人。夏は40度以上の高温、冬は東京よりやや暖かく、年間を通して小雨。
ペシャワールからアフガンの首都・カブールへはカイバル峠(Khyber Pass)を越えて道路が通じており、紀元前から中央アジアとの交通・交易の要衝として人とモノが行き交い栄えた街としても知られ、ガンダーラの遺跡も近くに点在しています。なおアフガンでは、89年にソ連軍の撤退後も内戦が続き、カイバル峠周辺への外国人の立ち入りは厳しく制限されています。峠を越えてアフガン側に入れば、バーミヤンの古代遺跡の石窟や壁画、砂漠の真珠といわれるバンデ・アミールの湖沼群もあります。ペシャワールの地名は、パキスタンとアフガンで医療活動をしていた故・中村哲医師を支援するための組織「ペシャワール会」にも使われていて、馴染みがあります。
■俺は、チビったぜ
二度寝から目覚めると、開け放たれた窓からバザールの熱気と、ざわめきが入って来る。しかし窓からは、空は見えない。今日も、暑くなるだろう。ここはパキスタン、ペシャワールの宿泊所だ。
今日は、峠を越えてアフガニスタンへ向かう。本当に入れるのだろうか。
まあ、だめならすぐに戻れば良いだけだ。
俺はパキスタン人5人と、ダットサン・トラックの荷台に乗り、カイバル峠の入口を過ぎる。ここから先は、外国人はオフリミットだ。途中、いくつもの検問で停車、何か質問されても、口をきくな。
土嚢に据えられた機関銃は、こちらを向いている。クソっ垂れ! こんな話は聞いてねえ。
すぐに引返したいが、目立つ行動はできない、と言いやがる。後悔先に立たず、俺はこんなところで何してんだ?
そして、泣きそうな俺はいよいよ峠を越えて、ランディ・コータルの町へと入る。
トライバル・テリトリー(直轄部族地域)のパキスタンとアフガニスタンとの国境の町だ。
ここでの芥子の生産量は、相当なものだろう。バザールでは、カラシニコフ(自動小銃)やRPG−7(ロケット弾発射機)さえも売っている。
俺はロシア兵士を100人殺ってるぜ! と武器商人はいう。100人は大げさだとしても、何人かはやってんじゃねーか? その目つきは?
現在は、ちょうどソ連のアフガン侵攻の終わった後の、混乱期だ。忘れられた米ソ代理戦争。
近くを迂闊に散歩すれば地雷やブービートラップなど、たまに空襲も。クソっ! なんでこんなことになっちまったんだ?
その晩、俺は反アフガニスタン政府系のゲリラさんの家へステイ、世話になった。
裏山の険しいところを、皆がサンダル履きで走り回り、おお、ゲリラさんはずいぶんと元気じゃねーか。
そして夜は、宴だ。イスラムに酒はないが、山羊を1頭捌いてくれた。
俺はなんだかんだ、危ないところにいることも忘れ、すっかり楽しい一夜を過ごしちまったわけだ。
明けて翌日は、バーミヤンの大仏を見物したかったのだが、どうやらバカヤローな空襲があるとのことで止めにしたぜ。これは後日、止めて良かったことが判明するのだが。
あれから30年以上が過ぎた。
あの時ダチは、「来年は、日本からカブールへダイレクトに来られるぜ、戦争は終わんだからな!」と言っていた。
国境の町・ペシャワールには、死体の写真でいい気になってる最低な戦争記者すらいなくなったんじゃねーのか?
未だに終わらない戦争は、いったいどこへ向かっていくんだ、え?■
コメント
旅は成行き任せで、屡々後悔。
でもパキスタンの友人同行なので、見た目ほど危険ではないような気もする。
なんでそんな危険な所に行く事になったの??
コメントをどうも。
でも終始泣きそうで、とてもゲリラなんてもんじゃないです。家族を殺された怨みを持つあのひと等、戦争は無くならないだろうな。
ナガサカがゲリラだったとは知らなかった。