野村川湯YH 世界~ あの街ぶらぶら歩き  ナガサカ×オバケ | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

世界~ あの街ぶらぶら歩き  ナガサカ×オバケ

連載 旅

インド放浪
バラナシ/Varanasi(インド)
オバケ(大川教子)

[旅のデータ]バラナシ(英名=ベナレス)は、インドの北東部、首都デリーからは飛行機で1時間20分ほどの距離にある、観光都市です。人口はおよそ120万人、年平均気温は26度ほど。バラナシには、北方のヒマラヤを源流としてベンガル湾に注ぐ、聖なる河・ガンジスが流れ、ヒンズー教の聖地として崇められている宗教都市でもあります。そのためインド全土から、毎年100万人以上の信者や巡礼者などが訪れ、河沿いでは、清めの沐浴や祈りが、連日行われています。そんな神聖な祈りの場と、都市の喧騒とが混然一体となったインドらしい風景を求めて、外国からバックパッカーらが訪れます。この旅ではムンバイから入国し、夏休みを利用した3週間ほどの、いつものように女ひとり旅でした。

 

■嘘をつく人への興味

ヨーロッパ、アメリカと旅していた私は、それぞれの旅での体験は、すごく感動したものの、ずっと今ひとつ物足りない思いがしていました。

というのも、どこの国や街を訪れても素晴らしい風景や文化があるに違いはないのですが、日本とそれほど違わないかな、という感覚に囚われてしまっていたのです。「世界には、もっと違う風景があるはずだ」と、そんな思いから抜け出せずにいたある時、インドに行った友達の話を聞いたのです。

「インド、面白いけど、インド人は平気で嘘をつくよ」

「どういうこと?」

「ガンジス河沿いの『久美子の家』というゲストハウスに行こうとして道を尋ねると、そこは洪水で流された、といって、他の宿に連れて行こうとするんだよね。『久美子の家』は、ちゃんとあって、泊まることできたけどさあ」

 

……この話を聞き、私は平気で嘘をつくインド人たちに興味を持ち、どうしても彼らに会ってみたくなり、インドに行こうと思ったのです。さらに、ガンジス河では、焼いた死体が流れていく横で沐浴している、そんな様子も、1度、自分の目で見て確かめてみたくもなりました。そして、思いきって出かけたインドは、やっぱり日本とはまったく違った風景が拡がっていました。

空港を降りるなり、道端に座って物乞いをする親子。体は真っ黒。服とはいえないような黒く汚れた薄い布を巻きつけていて、手を差し出しているのです。ビックリした私。でも、表情にはちっとも悲愴感がないのです。……どういうこと?? 悲愴感どころか、余裕すら感じられるのです。

オートリクシャーのドライバーとともに、ご機嫌な筆者。 これは、私を騙したドライバーではありません。

その時に感じた「どうして??」という疑問は、インドを旅する間中、ずっと私の中にあって、なぜかと考え続けていました。

露天で売られている食べ物は、新鮮なのに、強い陽射しと埃をたっぷりと浴びていました。バラナシの市街地。

野球に興じる少年たち、と、その時も、ついこの前までも思ってましたが、あっ、これはクリケットなんだなと、やっと30年を経て、今、気がつきました。バラナシ近郊にて

今回のインド旅の最大の目的地・バラナシは、牛、人、リクシャ(自転車に人力車をつけたような乗り物)が混在し、雑多に行き交う街でした。道路はでこぼこで、そのすぐ脇には屋台の食べ物屋が連なって並んでいるのです。土煙りのもくもくと巻き上がるすぐそばで、生の食べ物が堂々と売られている様子は、圧巻でした。「これでお腹壊さないはずないよな」と、確信した瞬間でした。

タージ・マハルにて、インド人の親子たちと一緒に。 ただしタージ・マハルはバラナシではなく、アーグラにありますので。

■風のように走り去るおじさん

さあ、目指すは友人から聞いた安宿「久美子の家」。早速、流しのバイクを見つけて、いざ値段交渉。これをしないと、法外の値段をボッタクられるらしい。

「久美子の家に行きたいのだけど」

「おお、そこなら知っているさ」

「いくら?」

「20ルピーだ」(約20円位か)

「じゃあ、お願い」

といってスタートしてしばらくすると、

「20ドルだ、OK」

といってきた。20ドルってことは、当時3000円位。

騙されたー、と思った私は、つたない英語で、

「あなたは、嘘つきだ。今すぐに降りる」

と、まくし立てたのです。バイクは止まり、私はそこに降ろされたのです。

でも、いったいここがどこなのか、まったく私にはわからない。自分の無謀さに呆れたものの、なんとかしなくては……と。「地球の歩き方」の地図を広げ、「久美子の家、知らない?」と、近くにいた人々に聞いてみても、英語がちっとも通じない。

そのうち、どこからともなく人々が集まりはじめ、取り囲まれることに。

「久美子の家、知らない?」と尋ね続けていると、「そこなら知っている。俺について来いよ」「ああ、よかった!」と思って、その人の後をついて歩き始めると、まだ近くにいたさっきのバイクの運転手が、ここぞとばかりに「そいつは、嘘をついている。別の宿に連れ行かれるぞ」というのです。

途方に暮れていよいよ困った私は、その場に立ち尽くしていると、バイクに乗ってた知らないおじさんが、いきなり自転車のリクシャを止めてなにかを伝え、「これに乗れば、久美子の家に連れて行ってくれるだろう」と、短くいい残して、風のようにさっと走り去っていったのでした。

そして私は、ようやく目的地にたどり着くことができたのです。インド人は嘘つきなのか? 親切なのか? よくわからない出来事でした。

「久美子の家」は、かつてのユースを彷彿させるような宿泊施設でした。

広い板の間に、みんなで雑魚寝。世界を放浪している青年たち、シタールというインドの楽器を習いに来ている人、休みを利用してノンビリしに来ているバックパッカーなど、様々な人たちが滞在していました。そして、そこにいる誰もが時間に追われることもなく、の~んびり過ごしている。

「久美子の家」の屋上からは、ガンジス河が一望できるのです。

そこから、日がな一日、河を眺めていると、本当に色んな物が流れて行きます。野菜や果物のクズ、ゴミ、犬の死骸、そして、荼毘にふされたと思われる布の塊。その横では、インドの人が幾たびも繰り返し、ガンジス河に身を沈め、沐浴しています。そんな光景には、なんともいえない神聖な空気を感じました。

そして、ゆっくり、ゆっくりと流れていく時間。自分の暮らしを思い起こし、「何が幸せ?」なのか、わからなくなってしまいました。

じっと聖なる流れガンジスを眺めていると、世俗や、愛とかカーマ・スートラのことなどはすっかりと忘れ、心の汚れが洗われて、生まれ変わったように清浄な気分になりました。

ひょっとして、なにかに囚われない自由さが、幸せの本源なのかなぁ。埃っぽい暮らしと、清らかな宗教心という、清濁併せ持った複雑さがとても不思議だったし、でも、そうした現実を当たり前として生きている人々の精神力は、凄いと感じました。

右ページが、インドのビザ。左ページの右上の大丸が、ムンバイでの入国スタンプ、中央の赤い楕円が、デリーからの出国時のもの。1992年7月

インドで考え続けていた疑問の答えも出ないまま、帰りの日を迎え、また、いつもの日常に、私は戻っていったのです。■

 

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