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世界~ あの街ぶらぶら歩き  ナガサカ×オバケ

連載 旅

ワイロを使い世界遺産に登る
カイロ/Cairo(エジプト)
オバケ(大川教子)

[旅のデータ]アフリカ大陸の北東、4代文明のひとつであるエジプトは、国土の9割以上がサハラ砂漠に属し、スエズ運河によって地中海と紅海を結んでいます。カイロはエジプトの首都として、またアラブ文化の中核都市としても栄えてきました。現在の都市圏の人口は約2200万人ほど。GDPはアフリカの都市として第1位。市街地のすぐそばには世界遺産(1979年登録 メンフィスとその墓地遺跡−ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯)があります。この旅は年末年始の休暇を利用し、便宜上、成田−カイロのフライトだけツアー客に混じり、それ以外はツアーを外れての気ままな自由な旅でした。ちょうど気候もよくて過ごしやすく、砂埃を除けば、快適な旅になりました。

■油断できない人々

インドを旅してすっかり土臭い文化や、アブナい人々に惹かれてしまった私は、次はどこに行こうか迷っていました。そんな時、4月にカイロの日本人学校に赴任して行った先輩がいることを思い出し、下心もありつつ連絡をとってみました。

「だったら、元旦の初日の出を、ピラミッドの上から眺めてみないか?」

「えっ、そんなことできるの?」

「最近、周りで話題になってるんだよ」

「……できるんなら、それ、絶対にやってみたい。もちろん行く」

ラクダに乗って、ギザのピラミッドまで近づきました。 乗る前の入念な値段交渉はもちろんですが、ラクダは臭いツバを吐きかけたりするので、乗ってからも緊張が続きます。1992年12月

正直にいうと、このカイロのピラミッド群は、旅をした時点(1992年)では、世界遺産には登録されてない、と私はすっかり思い込んでいました。ところが今回、念のために調べてみたら、実は当時から、すでにもう登録されていたとはじめて知りました。そりゃあ、そうですよねえ、ピラミッドだもん。自分のことながら、私のこういうそそっかしさが信じられません……。

 

さておき、やはり年末のチケットは、なかなか手に入れることが困難で、トルコ・エジプトツアーのチャーター便に、やっとの思いで乗せてもらうことができました。

いざ日本出国の手続きをしようとすると、私の荷物が重量オーバーだといわれました。

先輩から、日本食を持って来るようにと依頼を受けていて、先輩のご両親から託された荷物が、スーツケース、リュックサック、スポーツバッグにところ狭しと、ギュッと詰め込まれていたのです。たとえば、海苔・梅干・せんべい・昆布・麩・漬け物・出汁・餅・菓子……、それにカルピス。以前に、航空便で送ってもらったら、瓶が割れていたことがあったとか……。それにしても、海外にいると、そんなにも日本食が恋しくなるのが不思議でした。

航空会社からは、重量オーバーの料金が10万円だとチャージを受けて、焦りました。困った私はまずご両親に連絡してみて、さらに先輩からは、それでもほしいといわれ、ともかく飛行機に積み込んだのです。

サッカラのピラミッド。サッカラ遺跡は、古代エジプトの墓地として、4~3000年頃前から王族などが埋葬されてきました。

12月の末、真冬の日本を出国し、カイロに着くと暖かかったのを、今でもよく覚えています。薄い長袖でちょうどいいくらいの心地よさでした。カイロの気候は、クリスマスの頃がベスト・シーズンなのです。

泊めてもらった先輩の家は、フラットと呼ばれ、マンションのワンフロアーを使用していました。子供たちが家のなかで三輪車を乗り回せるくらい、広々していました。

マンションから車に乗って、ほんの20~30分ほど走ると、テレビで何度も見たスフィンクスが目の前にドーンと現れたのです。カイロ市街からこんな近くに……。その周りにはピラミッドが、どっしりと座を占めていました。うわ~、スゴい存在感……。興奮して、思わず車から身を乗り出してしまいました。

さらにラクダに乗り換えてから、いざピラミッドへ。その日は、初日の出ツアーの下見なのでここまででしたが、下から見上げるピラミッドは、かなりの高さです。ここに登れるんだ、と思うと、好奇心と興奮の入り交じったワクワクが抑えられませんでした。

元旦の早朝、私たちは迎えの車を待つものの、なかなか来ない。悠久の時を生きてきたエジプトの民たちの国民性は、もちろん時間にはかなりルーズです。

ようやくドライバーがやって来て、ピラミッドの下まで行ってみると、すでに十数名の欧米人たちが、ピラミッドのブロックに腰掛けて、日の出を待っているのです。

それでは、と、私たちも登ろうとすると、そこに急にポリスがやって来て、「みんな、そこから下りろ!」とすごい剣幕でいいます。

登っていた欧米人らも下りて来て、あきらめてトボトボと歩いていると、どこからかその様子を窺っていたらしい別のポリスがすーっと現れて、「お前たち、ここを登りたいのか?」「Yes」。「だったら、バクシーシ(Baksheesh 喜捨=賄賂)をよこせ」というのです。

先輩が粘り強く交渉してくれて、お金を渡すと、「じゃあ、こっちに来い」といって、私たちはピラミッドの裏側に誘導されたのです。

 

ピラミッドは、1メートル四方の石を、階段状に積み上げた構造物なので、比較的登りやすいのです。私は、慌てて登りかけたのですが、しかし数段登ったところで、はたして上まで行って下りることまでを考えると、とても怖くなってしまい、生真面目で慎重な私は、止むなくそこに留まることにしました。

少し登ってみたものの、下りるのが怖くなってしまい、ここで止めました。それでも、世界遺産のギザのピラミッドに登ったという事実だけは、微動だにしません。

上まで登って行った先輩は、30分くらいして下りてきて、「素晴らしい眺めだったよ!」と、興奮気味に話してくれました。あの歴史あるピラミッドに登った人は、そうそういるはずもないのだから、気分が高揚するのは当たり前ですよね。

でも、下からでも、ちゃんと初日の出は見られましたから。

遙かナイル川東岸の、ずっと向こうの地平線から昇って来る赤い太陽は、古代のエジプト人たちが崇拝し、とくに日の出は、人間の誕生と、死からの復活の象徴として捉えられているのですから、ここで見る元旦の日の出は、震えるように感動的でした。美しいだけでなく、幻想的でもあり、なによりも、今ここにいることが、奇跡の瞬間のようでもありました。

初日の出を眺めた後は、先輩の家で、雑煮をごちそうになりました。エジプト名物のハトの丸焼きよりも、やっぱり和食よね、と、舌鼓を打ちました。

日の出も印象深い風景でしたが、カイロの高層ホテルのラウンジから見た夜景も、それは美しく、胸が揺すぶられるようでしたねえ。日々の仕事に疲れ、埃っぽい異国を旅する私の目頭は、ひょっとすると知らずうちに潤んでいたかも知れません。

エジプトにはいたるところに、歴史的な建造物や遺物がごろごろとあって、旅の間、充分にそれらを堪能することができました。

それにしても、現代のエジプト人たちが、にやにやと笑いながら平気で嘘がいえるのには、驚きました。いつも人を騙そうとしてみたり、ちっとも悪びれずに法外なお金を取ろうと構えていて、油断できませんでした。

ツタンカーメンの王墓から発掘された「黄金のマスク」だけは、見逃せません。エジプト考古学博物館内でも、人気があり、幾重にも人集りができていました。

土臭さを求めてるのは私だし、しかも、わざわざ砂漠の国に出掛けてるのですから仕方ないのですが、日本の清潔さに慣れてしまった身からすると、そこら中に砂埃が多くて閉口しました。口や目をハンカチで覆ったり、どこかに座るにも、まず砂を払ってから腰を降ろすのが、習い性のようでした。

悠久の歴史の一端に指先が触れて、人類史に想いを馳せる感動もさることながら、この旅でも「やっぱり頼りになるのは、お金よね」と実感した私でありました。■

客船に乗ってナイル川クルーズを楽しみました。ベリーダンスなどのショーを見学しながらの豪華ディナーです。ナイル川の夜風が、ホロ酔いの頬を撫でるのがなんとも心地よかったのよ。この夜のベリーダンサーは、腰の振りが今ひとつでしたけどね。

コメント

  1. ながさか より:

    その方はオバケに紹介してもらい、私もエジプトでは大変お世話になりました。
    ホントに良い方です。
    いつかお礼したいなー、お元気ですか?

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