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世界~ あの街ぶらぶら歩き ナガサカ×オバケ

連載 旅

国境の街での非常事態
メーサイ/Mea Sai(タイ)
ナガサカ(長坂 肇)

[旅のデータ]北部の国境の街・メーサイ(チェンライ県)は、サイ川を隔ててタチレイ(ミャンマー)と橋でつながり、タイとミャンマーの両国が陸路で結ばれている。メーサイは、物流が盛んで活気もあり、寺院、ホテル、ローカル市場など建ち並び、インフラも整う。この山岳地域はラオスを含め3国が国境を接し、ゴールデン・トライアングルと呼ばれ、かつて世界屈指の麻薬の密造地として知られた。3ケ国がひと目で視界入るロケーションと、アブナい場所の面影を求め、粋狂な旅人たちが訪れる。

 

■ゴールデン・トライアングル コロナ前夜

今思うと、最後の自由な旅だったのかも知れないな。

2020年のある日。世界がコロナに侵される直前。乾季の折、とても気持ちのよい移動で国境越え、タイのメーサイへ入ったのは日暮れ時だった。

メーサイ前日、ミャンマーの山中、エン族村にて。昔懐かしいお歯黒さんが。以下いずれも2020年

ここメーサイは、タイの最北端だったんだ! と感心しつつ、まずは宿を確保して、次に酒場探し。熱帯の夜をビールで潤した。

ここまではコロナ? それってどこ吹く風? であった。

国境を越えてタイへ。これから宿探しと酒場探検。(タイ/メーサイ)

タイの最北端。宗谷岬は暑かった。(タイ/メーサイ)

ゴールデントライアングル行の乗合。(タイ/メーサイ)

翌朝、悪名高きゴールデン・トライアングルへ。

タイ、ミャンマー、ラオスの国境が接し、以前は麻薬、武器、人身売買の巣窟だった。悪名高いとはいえ、今は平和な観光地。メーサイの町中から乗合トラックで1時間ほど。困ったことになるとはつゆ知らず、ゴールデン・トライアングルへ♪。

ゴールデン・トライアングルは、中国語で「金三角」。なるほど。

ゴールデン・トライアングルの現在は、平和でのどかな川の合流点。へぇー、ここがその昔、世界最悪の場所だったのかー。タイ人観光客もいて、記念写真を撮っている。それにしても人が少ないけど、こんなもんなのかな?

有名なゴールデン・トライアングル。手前がタイ、左上がミャンマー、右上がラオス。(タイ/チェンセン)

ラオス風景。ラオスは中国が経済を握っている。

そこから1時間くらい歩いて麻薬博物館へ、これでもかというくらい悲惨な写真を見せられ、気持ちが荒む。

平和なトライアングル記念撮影スポット。 赤く咲くのは芥子の花。藤圭子ファンだった私。タイ麻薬博物館(タイ/ソップルアック)

アヘンの作り方。麻薬博物館ではアヘンの精製体験ができる……そんなわけはない。タイ麻薬博物館(タイ/ソップルアック)

これでもかこれでもか、と悲惨な展示。ん~、心にキツイ。タイ麻薬博物館(タイ/ソップルアック)

アヘン窟。リアルにできててかなり怖い。タイ麻薬博物館(タイ/ソップルアック)

さてメーサイの町へ戻ろうか。重く荒んだ気持ちを引きずったまま博物館前で、町戻り乗合トラックを待った。

ん? 待てど暮らせど頻繁なはずのトラックが来ない。全然来ない。そもそも車自体がいやに少ない。おかしい! 周りに家もなく、とりあえず暑気の道をトライアングルまで戻ることにした。

徒歩1時間、暑いなー。 もーーヘロヘロ。

しかしおかしい。

町へ行く乗合トラックもないし、バイクタクシーもない。人があまりいないし、店も閉まってる。どうなってるんだ? 急に町へ戻る手段がなくなってしまった。なぜ? どげんかせんといかんばい。

一度はバイクタクシーと交渉し乗りかけたけど、途中、警察の検問があり通れないと。なんと! 実はこの時まさに、タイ初のコロナ非常事態規制発令だったのだ!

それから八方手を尽くし、すったもんだ。時間をかけて交渉し、検問回避ルートで行ってくれる車を見つけ、やっとどうにか帰路につけそう。よかったー。

町へ帰って来られた。いろいろあって疲れたな~。 お! 癒してくれる赤ちょうちん発見! 左の対岸はミャンマー。(タイ/メーサイ)

やっとの思いでメーサイへ戻ることができ、いや~めでたしめでたし。その夜のメーサイでのお酒は、また格別の旨さでした♪

翌朝、二日酔いの頭を抱えて寺院へ禊に行く。君の心は汚れている、と門前の小僧さんに指摘され、左上の北島三郎大仏さんもそうだそうだと。ごめんなさい。(タイ/メーサイ)

ところで翌朝はミャンマーへ帰るのだけど、果たして国境を越えられるのかな~?

コロナ、クーデター、内戦。

このときはまだ、今後の暗黒展開なんて、夢にも思っていなかった。

メーサイの国境も、この何日後かに閉鎖され、僕が国境通過最後のお気楽日本人だったのではないかと思う。

タイとミャンマーの国境中間点。国境のDutyFreeShopだ!

さて、忘れられつつあるミャンマーやアフガニスタン、酷いウクライナ侵攻。あと何人の命が奪われ、どれだけの人が涙を流したら、世界は助けの手を差し伸べるのだろうか?■

 

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