野村川湯YH 人に七癖 我が身に八癖 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

人に七癖 我が身に八癖

人に七癖 我が身に八癖

スネを掻いていた部屋

 

今年もまた、桜の花がほころびはじめる時季が巡って来て、すると、ふわっと思い浮かぶ顔がある。

 

……それで、さっちゃん(吉川佐知子)に電話してみて、この頃の様子とか、ついでにダンナ(ホーセー/吉川誠)の癖について尋ねてみようと思った。すると、ちょうど千尋(長女)がいて、正真(孫)の元気そうな声も、後ろの方から響いていた。

で、ちょっとだけ考えて、普段はこれといった癖や口癖もない人だったけれど、そういえば、家族から面倒を頼まれ、判断に困ったり、迷うようなことがあると、脚のスネをぽりぽりと掻く癖があった、と教えてくれた。そう聞いて、思い出したことがあった。

 

ホーセーの祖師谷のアパートは、割と広かったことと、それに家主の懐深さもあって、川湯の仲間たちの溜まり場となり、上京の折にだれかれとなく勝手に泊まったり、と、世話になった人も多かった。その世田谷の住宅街に棲む前の一時期、ホーセーは総武線の新小岩駅近くの、学生アパートにいたことがあった。

当時の新小岩駅のガード下は昼なお薄暗く、夜ともなれば、「兄ちゃん、いいのがあるから買ってくれんかい?」と、オジサンから声を掛けられたりする環境がまだ残っていた。

駅前から南側に、15分ほど歩いたところに木造アパートがあった。もう当時からかなり古くて、狭かった。1階には大家のばあさんがひとりで棲み、2階に四畳半や六畳の部屋が6つほど並んでいた。トイレも台所も共同で、風呂もなかったけれど、大体、そんなもんだろうと感じていた。

ある日、その部屋を訪ねたら、ホーセーはこたつに寝っ転がっていた。

いつものように、今夜の飯はどうしよう、とか、明日はなにをするか、くらいのことしか関心もなく、僕たちは、将来や人生のことなんて、ほとんど考えてもいなくて大いに刹那的だった。

小さな電気釜で白米を焚き、醤油を掛けただけの竹輪を1本ずつおかずにした晩飯をすませ、ふたりでネスカフェを啜っていた時だった。

ここの奥の部屋のヤツがさ、ボヤを出した、と、この前、大家から聞かされたんだよ、という。たまたまホーセーは外出中で、帰って来たらえらく焦げ臭いんで、なにかあったなぁ、とは思ったらしい。

それで今日、突然、ばあさんが部屋にやって来て、もうこの際、この学生アパートを止めることに決めましたので、と伝えられたらしい。

そう僕に話をしながら、ホーセーはぽりぽり、ぽりぽりと、脚のスネの辺りを掻いていた……ような気がする。(〒)

 

 

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