犬に導かれて二都物語
トモノ(友野 正)
▼ともにある暮らし
今日は、日本から、旧知の間柄であるトモノ・タダシとジュンコ夫婦が訪ねてくるというので、私が自ら進んで案内役を買って出たのだ。
私の名は、エゴン・シーレという。ちょっとだけエロにも見えるが、画面から深い哀感が漂うような作を描いて暮らしている、絵描きの端くれだ。もちろん生まれも育ちもウィーンだから、この芸術の街をアテンドするには適役だろう。
だが今回の旅の目的は、美術鑑賞だけでなく、犬によるカーミング・シグナル(一種のボディ・ランゲージ)の第一人者であるという日本の女性トレーナーが、なんと我が国・オーストリアに住んでいるとかで、その人に会うために、トモノ夫妻は遠路をやって来たのである。念のためにいうと、トレーナーに会って話を聞きたいと熱望しているのは、犬に寄り添い、その気持ちを深層まで理解しようと努めているジュンコであって、タダシは付添のスポンサーでしかなく、したがってひとりで暇だというから、私の案内によって、街をフラつくことになったのだ。
それにしてもいつもながらではあるが、犬を連れて歩く人々が、なんと多い街だろうか。若い母親は、乳飲み子をあやしながら犬を連れて散歩し、カップルたちのデートにも犬がお供し、連れ添って外出する。カフェやレストランには、平気で犬連れでも入れてしまうし、周囲のお客たちは、嫌な顔ひとつしない。なにより感心するのは、犬のマナーのよさだ。
この国には、犬とともにある暮らしが社会にしっかりと根付いていて、人々は犬に鷹揚であり、飼い主たちは、犬の習性に沿って彼らを理解しようとし、そして愛し、慈しんでいる。
さて私は、もちろんのこと街娼らの集まる裏道や盛り場にも詳しいが、どうもタダシは今回に限りそれらは必要ないという。ならばまず、プラター公園にでも行ってみよう。
ここには、広々とした公共のドッグ・ゾーンがあって、ノーリードで犬たちが伸び伸びと走り回り、犬同士で仲良く交流し、楽しくじゃれ合っている。飼い主たちの会話も弾んでいるようだった。
私は、芝生に座って、美しい娘たちを夢中でスケッチしている間、タダシはといえば、犬の写真を撮って、そこらを歩き廻っているようだった。
なんでも明日は、プラハ(チェコ)に移動するというので、私も同道しようと思う。なにせプラハには私の美術館があって、懇意にしているコレクターも多いのだし。
▼神々しい輝き
百塔の街・プラハは、なんとも美しい街だ。
街全体が世界遺産になっていて、旅行者も多い。特急列車レイルジェットをプラハ本駅で降りて外に出たら、犬連れで長期の旅をしているというワイルドな夫婦から、いきなり「おい、お前、オレたちと飲もうぜ!」とか粗暴にいわれ、私は怯んだ。昼間から酒は飲まないと決めているので、と、やんわりと断った。この街には、善人も怪しい人々も、世界中から集まり吹きだまっているのだ。
プラハ城の全景を眺めようと思ってカレル橋に行ってみると、いつものように橋のうえに大道芸人たちパフォーマーや露天商らが出ていて、賑やかだ。それらの間に物乞いが静かに座っていて、横には大人しく犬がつき従っていた。ここでは物乞いも立派なビジネスであり、幸い犬は痩せていないように見えた。
カレル橋には30体ほどの聖人像が立てられている。なかでも聖ヤン・ネポムツキー像の台座部には2点のレリーフがあり、これに触れると幸運が訪れるとか、願いがかなう、といわれている。私の願いは、もちろんスペイン風邪に罹らない免疫力と、健康な体だ。
彫刻は、プラハ城にもたくさんある。なかでも「青年像」だけは忘れてはいけないだろう。
いつ頃からか、この青年の陰茎に触ると、幸福になる、とか、男運に恵まれる、子孫繁栄だの、子宝を授かるなどいわれ人々に信じられてきた。その結果、彼の陰部は、神々しくもこうして輝きだしたのだ。
ご婦人方、なかでも若い娘たちにも彼は圧倒的な人気があり、しかし、いつも涼しい顔をして、でも、ちょっとだけ我慢しながら、ここにじっと立っている。■
コメント
エゴンシーレ、哀しみのオンナ、だっけ?
まさかカワユでエゴンシーレが出てくるとは!