元カレと濡れちゃったぁ
キンタ(木下 透)
私は、多少、意固地なところがあっても、仕事だけは真面目にするダンナの世話を焼きながら、たまに面倒なことや、嬉しいこともあったりもして、概ね平凡に暮らしています。
若い頃は、一度、旅に出ると、しばらく家に戻らないことはしょっちゅうで、両親には心配かけました。仲の良かった同級生たちが、結婚したり出産しても、私はそういう生き方を、強がりではなくてちっとも羨ましくも思わず、なるべく自分の直感に頼って生きてきました。
……そろそろ夕飯の買い物にでも出掛けようか、と思っていたら、電話がありました。
知らない番号なので、いつもなら出ませんが、その時だけは、ふわっと出てしまいました。それがどうしてなのか、ちゃんと説明がつきません。
あえていえば、どことなく見覚えのあるような番号だったから、ということなのかも知れませんね。
「あぁ、もしもーしぃ……」という話し方と、その声には、もちろん覚えがありました。本音をいうと、ちょっとだけ懐かしさもあった、かなぁ。2年ほど前に別れた、元カレからでした。少しの間、つき合ってただけで、さらっと精算した割り切った関係でした。
急に、どうしたのよ、と思ったら、元カレは、来月、所帯を持つことにした、といきなり切り出しました。それで、その前に、もう1回だけ、会ってほしい、というのです。
はぁ? と思ったものの、どんな相手なのかとか、別れてからどうしてたとか興味もあったし、今度の週末なら、ちょうど時間もどうにかなりそうなので、いいのかな、と思い、即座にOKしました。それよりも私はこの頃、ちょっとだけ退屈してた、というのが、あったかも知れません。
ここしばらく、晴れの日が続いていたのに、今日に限って午後から不安定な天候となり、夕方からは本降りになる、とか、さっき予報士のお姉さんがドヤ顔でいっていました。
雨なのか……。
前に、よく会っていた街の南口で、待ち合わせました。
傘を差す人が、増えてきました。
すると、すっと私に近づいてくる男がいたので身構えたら、「暇なの? オレと飲みません?」だって。まだ学生風の歳若い男の子でした。返事もせずに、無視しました。
しっかり遅刻してきたというのに、元カレは、相変わらず調子よくって、へらへらと笑ってごまかします。私はつい、ごまかされちゃいます。甘いよなぁ。
ふたりでよく通っていたイタリアンのあと、これも馴染みのモツ煮の美味しい居酒屋に移ってすぐでした。
あのさぁ、これからホテル、行こうよ、と彼がいうのです。はあ? この男、なにいうのよお。
……もう会えなくなる前に、最後に1度だけ、ね、ね、と拝むように懇願されました。そういういい方には、別に気分は悪くありませんでしたが。私にも準備があるし、自分勝手なヤツ、とは、ちらっと感じたものの、最後の1回なんだから、まぁ、いいのかしら、と私は思ってました。
私は、私なんです。
入口へと続く石畳の路は、細くて暗く、濡れて光っていました。■
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