漂うスノーマン
キンタ(木下 透)
季節外れの、雪が降っている。
しばらくの間、はらはらと舞う雪を、窓越しに眺めていたら、これから外出するのがえらく面倒にも感じられたりした。
先日、学生時代の後輩から連絡があって、久々に会って飲もう、という予定になっていた。後輩のSは、ここのところ仕事も順調といい、それに彼女との関係も円満のようで、充実した昨今の暮らし振りに思われた。
とぼとぼと、待ち合わせの場所に向かった。街は、いつものように混んでいた。
しばらくして、電車が遅延しているから、と連絡が入り、指定された焼き肉店でかなり待たされた。俺はひとりで、すでに飲みはじめていた、あんまり強くもないのに。
合流してからは、愉快に、心地よく食べて飲み、ふたりともすっかり上出来だった。堅い話なんてほとんどなくて、共通の知人たちの悪口やら噂話と、それにいつものように下ネタで大盛り上がりして、笑った。ひと通り腹も満ち、酔い、そろそろの頃合いかな、とタイミングをみていたら、Sは、席を変えてもう一杯、という。
連れて行かれた居酒屋は、おでんの美味い、いい店だった。天候のせいで他に客もおらず、とても落ちつけた。ここからはSのアパートも近く、店の常連だという。いつの間にか気のいい女将さんも一緒になり、俺はしたたかに酩酊した。
もう、終電まではあまり時間もないようだし、今夜はタクシーを呼ぶのも、厄介なんだろうなあ、と、ぼーっと考えはじめていた。
Sは、次はウチに行ってもう少しだけ飲もう、と誘う。もうどうでもよくなって来て、いわれるままに、Sのアパートへ向かって雪道を歩いた。
部屋に着くなり、トイレを借りた。
室内をぐるっと見廻すと、こざっぱりと片付けられていて、清潔だった。Sは身の回りを整理整頓したり、掃除をまめにするような性質ではなかった。
本棚の開いたスペースに写真スタンドが置いてあった。旅先の、アジアのどこかのリゾート地で撮ったカットだろうか。強い陽射しのなかに、Sと彼女とが健康的に微笑んでいた。色白の、美形の女だった。
やっとエアコンが効いてきて、部屋が暖かくなってきたと感じたら、喉が渇き、冷えたビールをもらって飲んだところまでは、確かに覚えていた……。
寒さというよりも、冷たさで俺は、ハッと目が覚めた。
薄い毛布が1枚だけ掛けられ、座っていたはずのソファーにそのまま寝ていた。気がつくと、奥の部屋から話し声が漏れ聞こえてきた。声を抑えながら、どうやら押し問答しているようだったが、内容までは分からなかった。
なんとなく居心地も悪くなって、帰るか、で、どう声を掛けようか、それとも、このまま寝てるか、など、ぐずぐずと思案していたら、静かになった。
ソファーから上半身だけを持ち上げて奥の様子を窺うと、引き戸の隙間からわずかにベッドが見えていた。
そして白いワンピース姿の女が、Sの顔のうえにかがみ込み、ふぅーっと息を吹きかけているのが見え、俺は激しく動揺した。その息は、白く光る煙のようだった。
すると女は、急にこちらに向き直り、さっと風のように近づいて来て、今度は俺のうえに身をかがめてきた。肌が透けるように白い、痩せた女だった。写真の女だ。
そして、俺に静かに告げた。「いいわね。今、見たことは、誰にもいわないで下さい。もし少しだけでも話したら、あなたのこの後の人生は、先の見通せない闇に向かってしまいますからね」
とにかく俺は、分かった、とすぐにでも伝えたかったが、はぁはぁ、と喉が鳴るだけで、ちっとも声にも返答にもならなかった。その部屋の、凍るような空気の冷たさと、恐怖と興奮とで、俺は震えていた。
しばらく経ってから、Sから電話があった。
あの日以来、ずっと体調が思わしくなく、そのせいもあってか倦怠感や無気力が続いているらしい。それで仕事もすっかり嫌気が差してしまい、もう辞めてしまったし、実家に帰って静養することに決めた、と聞かされた。まったく生気が感じられず、Sとは異なる別人のような口調だった。
逸る気持ちを抑えて、それで彼女とはどうなった、と尋ねたら、あの日から会っていなくて、連絡も取れなくなっている、といった。
その知らせを聞いた土曜の午後には、また雪が降りだし、薄く、積もった。■
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