たくさんの人々が行き交う繁華な通りを、少しだけ逸れて、裏側の小径や、露地に入ってみると、とても静かで、市井の人たちの暮らしや、穏やかな素顔が見られて、驚いたり、ほっとしたりします。
野村川湯が生んだプロ・カメラマンたちは、あちこちの街を訪れて、分け入った先にあったであろう小径を、どう歩き、なにを感じて、眺めて来たのでしょうか。
……日本や世界各地の小径や露地で見つけた風景を、披露してもらおうと思います。
朝陽のなかで
キンタ(木下 透)
あぁ、夕べは、どこで飲んでたんだか、途中から、あんまりよく覚えてないのよ。
……前は、こういうの、しょっちゅうあったけれど、この頃はほとんどなかったのになあ。飲んで、いい気になって酔ったのは、わたし自身だし、楽しければいいんです。
で、わたしは誰なのか?
中堅の広告代理店に勤めていて、デザイン室に在籍しているユウコ、といいます。ポスターとか販促用のカタログや冊子、企業のHPのディレクションなんかをやってます。働き方改革とかいわれていても、変わらずに残業も多いし、勤務時間はもちろん不規則ですしね。
それで夕べ、わたしは仕事終わりに、行きつけのバーで、ひとりで飲んでたんですよ。安くって、敷居が低く、その割りには落ち着いていて、いい雰囲気なんですね。なにより、マスターがいい男なのよね。それで通ってる。
調子よく飲んでたら、一見さんの、若い男客が入いって来て、わたしと同じ、カウンター席に座ったんですよ。真面目な、物静かな感じの青年で、まだ20代の半ばくらいかなぁ、ラフな服装の、そんなに悪い印象でもなくて。
しばらくして、マスターとわたしとで、バンクシーのストリートアートは、犯罪か否かで盛り上がってたら、その一見さんの若い男が、急に加わってきたのよね。オレも、あの絵にはメッセージ性があるとか、芸術性が高いと思うんスよね、なんていって。
でね、イギリスのサウサンプトンで彼が撮ったという、道路標識にドローンが描いてあるのやら、那須温泉に行ったついでに足を伸ばして見てきたというネズミの絵の画像を、わたしたちにスマホを差し出して、バンクシーの絵を見せたりして。ちょっと自慢気だけど、そんなにイヤな感じでもなくて。
ところでさ、……あなたは誰なのよ、というところからはじまって、現代美術やオークションの内幕やら、酔いも手伝って、確かに彼との話は盛り上がった、のかなぁ。
するとそのうちに、オレは、お姉さんみたいな、むっちり気味のセクシーな女の人、好きなんスよ、とかいいだして。……失礼よねえ! まあね、実際にはそうなんだけどさ、いきなりオマエはそういうふうにいうのかぁ。
すっかり酔いも廻り、頭とカラダが痺れはじめる頃、マスターがそろそろ時間なので、と申し訳なさそうにいうから。それでわたしは帰ろうと思ってたら、その青年が、もう一軒だけ、オレにつき合って下さいよ、と、しつこく誘ってきたんですよね。
あちこちの裏道に入って、居酒屋とかショットバーみたいな店とか、もう、どこを歩いたのかも、ほとんど覚えてもないのよ。なにを話したか、なにをされたのかさえも、もう、すっかり忘れちゃいました。
気がついたら、すっかり露地には朝陽が差し込んでいて、眩しかった。■
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