野村川湯YH 解題「月刊川湯」 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

解題「月刊川湯」

連載 月刊川湯

第2回
「流転」の旅は、今も……
(2号、3号)

 

■重みを感じる大冊、2号と3号

 

41年前の今頃、「月刊川湯」の創刊号は、ふらふらっと、B4判1枚切りの、ペラっとしたものが、作られ、はじまりました。

ちょっとした連絡誌のような体裁で、まだ実在していた野村川湯YHの様子や、仲間たちの動向と、いくつかの簡単な記事で構成された、ハナ紙みたいなものでした。

 

そんな、くしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に捨てられてしまっても不思議ないようなペーパーの、2号(1979年11月)目の制作者が、当時、福岡にいた土方(佐竹正明)さんひとりに委ねられました。どんな経緯でそうなったのか、事情を知っていそうな人たちに尋ねてみましたけれど、まるで要を得ませんでした。

いうまでもなく、すでに多くの方はご存知の通り、興味・関心があって、よっしゃ、と心に決めて、納得してやるとなったら、徹底してやり切り、半端なことが許せない凝り性の土方さんに担当が渡ったのですから、2号はA3判4面の両面刷りで、いきなり計16ページの、とても立派な装いのものになりました。それを、極端だという仲間もいるかもしれませんが、この場合はそうではなく、熱量が伝わってくるほどの、立派なものに仕上がっていると感じられるのです。

続いて、3号(1979年12月)も土方さんと、ふたりの協力者(クマさん、ハブマン)によって制作され、今度は、B4判7ページの両面印刷で総28ページへと、また一段と大出世したのです。後に、30ページを越えるものが作られてはいるのですが、ここでこの2号、3号と続けて、手に重みを感じるほどの、存在感の伴うものが作られたのは、以降「月刊川湯」が生きながらえていく、ひとつの大きな足場になったのではないか、と、わたしには思えるのですが。

わけのわからない、ふらふらっとした、縮れたティッシュペーパーみたいな創刊号が、ここに来て、一気に読者の気持ちを誘因したに違いないのです。なぜかというと、急に16ページとか、28ページにもなった大冊は、気軽に、ひょいと丸めてゴミ箱なんかには、とても捨てられそうもないからです。そんなことしたら、土方さんに、怒られますからね。

それから、驚くことに、発刊当初のこの頃は、刊行ペースを、なんと「月刊」であろうとしていて、それを守って続けようと奮闘努力してるみたいなんですねえ。皆さん、ガッツありますよ。

 

■50時間、寝ないで作った秀作(2号)

 

2号の巻頭記事には、イン東京のこと、イン阿波、それに真くんとフッコからの寄稿もあって、丁寧にカッチリと、手堅く作られています。

大阪のケイちゃんの手紙とか、作者の名が伏せられた詩作なんかもあり、これを読むとちょっと恥ずかしい感じです。それと、全国の仲間たちからの短報が5ページにも渡って掲載されていて、かなりの労作だと思います。さすが佐竹さん、と、わたしは快哉を大声で叫びたいほどです。

頑固とか、堅物だ、融通が効かない、真面目過ぎる、偏向、酒乱など、巷間いろいろと佐竹さんはいわれていても、こうしてキッチリと責任を果たし、面倒な作業が情熱的にやれちゃうのは、やっぱり土方さんしかいないんだろうなあ、という気がしますね。まさに毀誉褒貶の人、土方すわん、凄~い。

当時の土方さんをして、どれほどの労苦を費やして「月刊川湯」2号と3号をまとめ、発刊したのかが、チラッと知れる記述もちゃんと残っています。それと川湯に対しての土方さんの主張などが、多少、気を遣いつつも、いかにもらしい意見としてさらっと述べられてたりもしています。

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この「流転」という小コラムは、引用であり、ちょっと退屈でもあるのですが、3号への伏線になっているので、さっとでも、読んでみて下さいね

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この調子で、北海道から九州まで、5ページに渡って続いていきます。

記事を集めるのも、それを書き写すのも、大変な作業だったと思います。

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ここに「編集後記」がありました。

土方さんは、39度近い発熱を押して、50時間も一睡もしないでこれを作った、書いた、と書き残しています。とても真似できない責任感と、情熱です。怖いくらい。

また、「もうしばらく字は書きたくない」といいつつ、続いて3号も担当するのですから、なんともいえませんよねえ

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自由集団「川湯」の姿は曖昧ですが、みんなで話してみようよ、と、土方さんは問題提起し、呼びかけています。誘って呼びかけつつも、「やっぱりむつかしいかな……うん、なんせ……むつかしい」ともいっています。きっと、当時の土方さんには、朧気ながらもなんらかの形が見えかけていたのかも知れませんね。土方さんのハートは、今も、燃えている、のでしょうか。

 

■2日後にテストが控えてるのに(3号)

 

3号では、「巻頭言」のようなコラムで、旅の理想型についての、当時の土方さんの主張が思い切って書かれていて、正直、ほんの少しだけ退屈かも知れませんが、改めて、ここで一読する意味はあるのでは、と、わたしには思えました。

3号ではほかに、イン名古屋のレポート、フッコの寄稿、「きんたの影に女あり」の文責は、みほ、えっちゃん。毒と茶の文章もあって、これは、それぞれの筆者の性格がやっぱりクッキリと浮き出ているようで、面白い。当時、茶はこうして誌面のあちこちに、ちょろちょろと顔を出していて、健在だったんですねえ。今は、どうしてるのかしら。

ローカルニュースや全国の仲間の動向を知らせる短報は、2号に続きとても精力的で、ここでも労作といわざるを得ません。今読んでも、たくさんの仲間たちの息吹や熱が、ダイレクトに感じ取れます。仲間をつなごう、という制作意図がはっきりと分かるようです。

ただし土方さんの、関取が色紙に押すような、デカい「手型」なんかも載ってたりして、ひょっとして時間切れ? それとも、苦し紛れ? かなぁ、とも思え、失礼ながら、こんなもんはわたしはいらないワ、と感じましたけれど。

 

……と、こんなふうな内容の、土方編集の2号、3号は、「月刊川湯」のなかにおいての、ひとつの到達点となり、お手本として示してみせた大きな成果だと思われるのです。

大げさでなく、この2号、3号があったために、以降にバトンがつながったのでは、と、わたしには感じられてなりません。

 

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ちっとも面白くはないのですが、デザインとしては、とてもよくまとまった表紙のように見えます。作者・土方さん自身の説明によれば、この意匠は「米空軍の将校帽の帽章を、適当にアレンジした」そうです。また「EPLURIBUS UNUMとは、米国の標語で『多数で出来た一つ』の意である」との解説を読んで、ああ、だからなのか、と、やっと納得できました。さすが、軍事オタク、コンバット土方。

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この巻頭言が、前号「流転」からのつながりとして書かれています。巧みな仕掛けです。

当時の土方さんは、皮相的な話や、流行や幼稚なバカ与太話が、あんまり好きではないのです、たまにはいいとしても。できれば、みんなと飲みながら、もっと硬質な、旅の本質論を真面目に語り合いたかった、のかも知れません。多少、鬱陶しくても、佐竹さんのようなこういう問題提起や提案ができるストレートな人って、貴重ですよね。

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「ローカルNETS」が4ページ、続いて「北から南から」が3ページあって、たくさんの人たちが近況を寄せています。多くから情報を集めるのも、こうしてまとめるのも、きっと大変だったでしょう。と、思うと、この冊子発刊の主旨のひとつは、ここにあるんだろうなぁ、とも感じます。

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後記です。ひじかたすわん自ら「11月(2)号はともかく12月(本)号は自信作であります」と、書き残しています。ホントに内容も興味深く、レイアウトもよく、読みやすい。全体として、いい出来映えですよねえ。

これを作っていて「川湯の世界の広さ……とでも言いましょうか、そんなものがモロに感じられました」とも記して、ここんところは、末席を汚すわたしとしても、ちょっとばかり嬉しいです。

「古新聞! おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、二三行なれど」啄木。

 

■土方さん作 「川湯人物大図鑑」展

 

それから、忘れてはならないのが、極端な性質の、偏屈・堅物オヤジである土方さんには、意外にも力任せだけではない繊細な一面もあって、絵心やレタリングなどの美的感覚、デザイン技術、レイアウトのセンスなども優れているんですよねえ。

チロチロと誌面のあちこちに、そんな才能が濃厚に発揮されていて、なぜか、写真がほとんど使われなかった「月刊川湯」紙面において、土方さんの描いたと思われるイラストは、今も、活き活きと際立っているのです。

それが、もっともよく現れているのが4号からはじまった「保存版! 川湯人物大図鑑」(4号~10号に連載)というシリーズ企画でしょう。見ても、読んでもイケる連載記事で、佐竹さんによって描かれた傑作です。ここに再掲載しちゃいます。

この連載では、絵だけでなく、対象となった人物の特徴や噂話、フェイク情報など、適当にごちゃ混ぜにして書かれていて、無骨な土方さんの苦手な、ユーモアさえも感じられます。

筆者自身により、小さく「悪意にもとづくものではない」と注意書きみたいな、釈明のような言葉も書き添えられていて、皆さんがいうほど土方さんは極端な、直情径行型の人間でもないし、むしろ細やかな配慮もできる、ちゃんとした紳士なのかな? と、わたしには思えたりもしました。

それにしても、なぜ、こういうものを、土方さんはじめ皆さんは、情熱と時間と労力を注いで作っていたのかな、と、どうしても、制作に関与していなかったわたしのような立場の者には、思えてしまいます。

やっぱりわたしは、その理由を探ってみたいのです。(ゆ)

 

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注を読むと、土方さんの人柄のよさがよく分かりますね。

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「あかん! じぇんじぇん似てない!」と、筆者自らご謙遜をいっていて、そんなことないと思うんですが……。なーんていうと、直ちゃんに、わたしが怒られたりして。

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何年か前、友野さんの息子が紋別を訪れ、アポなしでフォードの実家の牧場に寄ってみたところ、ひょっこりとフォード本人が現れ、元気ではあるがかなり多忙そう、に見えたとのことでした。

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ホンモノのチャックは、もっと、ずっと、可愛らしかったと思いますよ。

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よく描けているし、それ以上に、人物評がうまく書けてる気がします。川湯四大奇行は、不気味で、恐ろしいですね。できれば、関わりたくない人々です。

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「石川くぅーん」とは、「ランユー」といわれてる石川衛さんのことと、聞きました。なんだか、当時、かなりいい関係だったようですね。また機会を見つけて、そのことは別稿で詳述します。

 

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