第6回
あたしゃ、フォードだよ
1979年の夏……の終わり頃。フォードのロゴが入った白いツナギ姿の男子が、ふらふらっと、ユースにやって来ました。道産子の高校3年生で、オコッペから来たといいます。
流氷の街としてよく知られる紋別市は、北見市の北東辺りのオホーツク海に面した街。そのすぐ北隣に、紋別郡興部(おこっぺ)町があります。大規模酪農業の盛んな土地だとか。高校生活最後の年に、たまたま野村川湯を訪れたフォード(小川正寿)の実家でも、牧場を経営しているといいます。
■わいは只今、高3
「やあ久し振りです。お変わりありませんか? 今年、川湯へ行ったおかげで、わいのアホさが増した事は言うまでもありませんが、それ以上に大きな事として、なんとわいに恋人がでけたのです。
それからもう一つ、すばらしい事があるのです。それは、わいに姉がでけたのです。その人の名は、『大川教子』さん、つまり、おばけなのです。なんとボロッとでけたのです。いや~実にうれしいです。
それからわいは只今、高3だけど、卒業したら実家をついで牧場主になるはずですからみんなでドッときてください。大空とオホーツクのみえる丘に大きなサイロが建っています。白地でくっきりと『小川牧場』と書いてますのでどうぞ来てください。しぼりたての牛乳と、牛を柱にしばりつけての『活造り』のシャブシャブが名物です。もち『タダ』!」 もんべつのフォードより(1979年11月 2号)
……と、このような独特の調子廻しの文章が、「北から南から」欄に掲載されています。でも、なんかこの記事は、変な感じですよねえ。ひと言でいえば、爽やかさのない言葉遣いなんですよ。ストレートにいうと、不潔感がある、というか。
調べてみると、この記事の載った「月刊川湯」2号の編集・制作担当は、九州支局でした。当時、福岡市西区の××コーポの一室に支局が置かれ、そこには、国家資格を目指して勉学のみにすべての時間と精力を費やしていたであろう、土方さん(佐竹正明)が住んでいたのです。ならば、納得です。
自然薯とオクラを刻んだうえに、バターとマヨネーズをかけ、さらに納豆を混ぜたような独特のしつこさ、とでもいったらいいでしょうか。この文章は、フォードの名を騙(かた)った土方さん代筆による創作と断定してもいいと思います。
そこで念のため、当時のフォードを知る何人かの人たちに、人柄など、印象を尋ねてみました。すると概ね、大らか、好青年、とか、真面目だ、木訥など、ハマナスの咲く海岸線を吹き渡る風のようにサッパリとしていて、なかなかのナイス・ガイのようなんですよね。ただ、オバケとの関係性については、フォードが姉のように慕う緊密さがあったのは、どうやら……事実のようです。
■君はなにをつかめるか
年が改まった1980年の1月に発行された月刊川湯の4号と、続く5号にもに、「北海どー 冬……流氷見聞録」という案内が、掲載されています。
4号には「大空と大地の中で君は何をつかめるか……」と、青春ドラマみたいなキャッチが打たれ、その下には遠慮がちに、小さく「[北海どー版]だけど地方のみんないらっしゃ~い!!」とか。2月29日から3月1日、場所は、フォード牧場です。翌月の5号になると、プランがより具体的になり「イン紋別」の文字が加わりました。
野村川湯のこういうイベントって、いつも自然発生的なんですよね。堅苦しい主旨とか大義のようなものなんか必要ないし、そこに賛同者が増えてまとまればすぐに成立します。大体、責任の所在も曖昧なまま、勢いだけで企画が膨れあがっていきます。
理由やコンセプトがないと、人はなにもできなくなってる、なんていわれて久しいですが、そんなこともないんですよ。あの頃の私たちは、風のように気ままに、わけもなく熱を発して動いてましたもんね。
とすると、きっと在道のパワー系女子たちが、いつものようになにかをキッカケにして、その場で、ガ、ガッーと盛り上がり、真面目なフォードを巻き込んでその気にさせちゃって、みんなで流氷を見に行くべ、どうせ行くんならイン紋別にしちゃおうよ、ネ、ネ、という感じでしょう。当時を知る人たちに尋ねてみても、もちろん開催の経緯詳細はまったく不明です。
■一杯500円のオンザロック
「あたしゃ北海道のフォードだよ。つまりイン北海道流氷見聞録の場所のフォード牧場(小川牧場)の未来の牧場主じゃ。
まずは流氷の現状だけど、一回だけは顔を見せたきり逆風のため引きかえして行ってしまった。そこでこの現状は何故におこったかと考えた所、流氷見聞録、来るとはっきり答えをだしてくれて俺の所まで手紙電話……などによって返事くれた人があまりにも少ない。正確には0に等しいためだと思う。
最近の流氷は観光化されて、流氷もだいぶその気になって芸をするようになってきた。たとえば、流氷をバックに写真をとろうとすると、流氷がちゃんとポーズをとるのであります。おまけに流氷は商売がうまく、自分のかけらでオンザロックを作って一杯500円で売っている。これがけっこう売れているようだ。流氷に聞くと季節収入にしてはなかなかよいとの事である。
そこで俺もこれはいけると思い、見聞録に来た人には流氷オンザロックをサービスしたいと考えている。なお個人的なことだけど、2月25日は俺の大学合不(ママ)発表のため2月29日にみんなが来た時にその合不発表もしたいと思ってます。
なお、みなさんも人間だから音楽は好きだと思う。できることなら見聞録に来てくれた人には自分の好きなジャンルの音楽を聞いてもらおうと思うので、あらかじめ指定していただければ用意します。
またまた個人的なことながら、新宿高、写真ありがとう。それからオバケ(姉様)元気ですか。電話、まってます」 紋別のフォードより (1980年2月 5号)
■同じものが好きなのです
1980年の2月、地吹雪のなかを、歯を凍らせながら、へらへらと笑って歩く3人の男たちがいました。風雪や寒さは苦手だろうし、でも路線バスを長くは待てないのです。なぜ、笑ってるかというと、極限状態におかれて、ハイになっちゃってたんだそうですよ。
キンタに、ナガサカとキリンでした。ああ、この3人が集まると、きっと面倒なことが起こりますよ。そこにトモノがいなかったのは、救いでした。
で、この3人がどこに向かってたのかといえば、フォードの実家の牧場でした。
「……今回の旅行(注:紋別への)でいろいろ良かった事がありました。今まで見ることの出来なかった人、それぞれの面も見ることが出来たし、催物のむずかしさも改めて知ったから……。
みんなで川湯の話をしました。やっぱりみんな違う考え方を持っていて、まったくひとつにするのは不可能だと思いました。でも結局、同じ物が好きなのです。どこかで通じ合えると思います」 札幌 毒リンゴ 私信より(1980年3月 6号)
「本音で書きます。イン紋別も終わり、人っていうのは、ややこしいもんだとつくづく想うのです。とにかくあたしゃあ、悲しかった。悲しかった。
でも、大きな目でみると、よかったことには変わりはないでしょう。やってみたんだから。よかったんだから。もっと成長しましょうよ。それだけです。
参加者は、フォードはもちろん、チトセ、チャック、毒リンゴ、キリン、キンタ、長坂、ヌルミズ、コーハイ、鈴木君、旭川の8人組のうちの清美ちゃん、畑山みどり、陽子ちゃん、千広ちゃん、みゆきの総勢15人でありました。
……最後の日、みんなで歌った数多くの歌はやっぱりよかった」 恵庭 みゆき(1980年3月 6号)
■敗因のひとつは睡眠不足
◎イン紋別所感
「なんせすべてが初めてだったし、16名(最高時)という人間が1度にひと所にあつまると、それぞれの考えがあって、うまくかみ合わない所が出てくるのはしかたないと思う。それぞれ思いがあって、こんな田舎に来てくれたのだから、部屋の中ばかりにとじこもってばかりいないで、自分の足で歩き回ってほしかった。歩くのがいやならヒッチという手段もあったし。
Last Nightは酒はなかったけど(あえて出さなかった)皆で円くなってそれぞれ好きな歌を全員で歌ったり、ゲームしたり、記念写真うつしたり、みゆきちゃんが持ってきた布にマジックでよせ書きしたり、それぞれに住所や名前を教えあったりあたしとしては3日間で最高の夜のように感じたね。
今回のイン紋別の敗因の1つとして、スイミン不足があったように思えるね。夜がおそかったので朝がダラダラしてるし、旅のつかれもとれないから、昼間ゴロゴロしてしまって、何もできない。やる気がない。何もしない。
また、楽しむために酒にたよりすぎた点もあるね。酔ってくると個人的な話に集中して全体を見れなくなっちゃって、最後には2~3人が残るだけで、他の人は口をつぐんでしまう。まして飲めない人は気分的にのってこないしね……」 紋別 フォード(1980年3月 6号)
この、フォードと毒(畑本貴子)、(工藤)みゆきちゃんの各レポートによると、イン紋別は、面白かったけど、不満も残った、という感じでしょうか。勝手気ままな、風のような人たちが集まってるんだし、まとまりを欠き、統制が取れなかったのが残念だったんでしょうけれど、そういう性質の人たちなんですから。
もう今となっては、実際に参加した人に当時の様子を聞いてみても、吹雪が酷かった、テレビをみんなで見ていた、肥ったネコがいた、など、断片的なものだけでした。
フォードはその後、江別市にある大学に進学し、熱気球を飛ばすことに夢中になってたそうです。新婚旅行は沖縄へ行き、帰りに川湯仲間のアパートに寄って食事をし、その夜は新婦とともにそのままアパートに泊めてもらって、翌日、紋別に帰ったといいます。
5、6年前、トモノの息子が紋別を訪ねた際に、ちらっとフォードに会ったようですが、それ以上の消息は分かっていませんでした。
……そうしたところ、たまたま2023年5月、道内を旅してたチャック(高松栄子)が、偶然、「小川牧場」の看板を見つけて、フォードとの再会を果たしました。
かつての、好青年、ナイス・ガイ、爽やか、サッパリとしている、なんて、どうやらすっかり飛んで行ってしまい、写真を見てるとその面影はほぼありません。そんなもんは、紋別の厳しい風雪と、冷たい流氷がアイヤー、アイヤーと、どこかにすっかり流してしまったんだろうと思います。人生は、風雪ながれ旅なのですから。
今夏のファイナル・ミーティングでは、好青年だったフォードを肴に、大いに酒に頼って、睡眠不足になっても構やぁしませんから、みんなで好き勝手に騒ぎましょう。(ら)
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