野村川湯YH 解題「月刊川湯」 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

解題「月刊川湯」

連載 月刊川湯

ちょうど野村川湯ユースが、体制を変えつつあった1979年から4年ほどの間、北海道、東京、名古屋、大阪、福岡を拠点にして、仲間をつなぐために、ため息のように小さな冊子「月刊川湯」が作られていました。ここでは、その「月刊川湯」を拾い読みして、採録し、当時の青さ、生真面目さと、危うさのようなものに、触れてみたいと思います。

 

第7回
「毒リンゴ」が
残した言霊〈下〉

さて、温泉旅館での、ひと夏の住み込みバイトを切り上げて、札幌に帰ってきた毒リンゴ・畑本(旧姓・堀越)貴子さんは、ひと皮むけた成熟した女になった……ようです。

少なくとも、なにかを吹っ切って帰って来た。その、なにかっていうのは、ひと口にさらっといってしまえば、彼女の上をかすめ通っていった男たちです。

 

■たくさんのことを考える

◎実況中継 場所 毒のお部屋

10月14日、毒のお家に、みゆきちゃん、奈穂子、よしみ、フォード、おぐすと、ぞくぞく集合した! 夕食は、毒のかあちゃんがジンギスカンを御馳走してくれた🖤🖤

当然、お茶がでる頃だろうと思ってると、やっぱりお茶が出た。そしていよいよ新聞(月刊川湯)作りに取りかかった。

でも、奈穂子とよしみは話してばっかりで、うるさくてしょうがない。みゆきちゃんは、手をまっ黒にしながら、表紙作りに励む。毒はおならばかりしてこまったもんだ!!

ウトロにいるはずの土方氏とカンボが突然あらわれた。なぜかカンボはかなりやつれて、キタナクて、臭くて、おまけに悪性の伝染病をもってた。その反面、土方氏は元気モリモリ精力満点というかんじ、力がみなぎっておりました。……中略……

新聞作りも着々と進んでます。毒はお茶やお菓子を、せっせと運んで、雷電の女給時代の身のこなしを発揮してます。……中略……

この作業で、毒の家族の方の多大なる御協力に敬意を表します!!
記 おぐす(第12号 1980年10月)

ここにこうしてオグス(小楠厚子)が書いているのは、毒が雷電温泉での住み込み勤労から帰ってすぐのこと。同じ12号に、毒自身は、集まってきた川湯の仲間たちに、朗らかに接し、健気にお茶を運んだりする一方で、ちぢに揺れる気持ちを、こんなふうに素直に綴っていました。

 

◎声溜の音 札幌編

非常に不安定である。

現実の生活にしても、精神的にも……。でもおかしなことにその生活に満足してる!!

半日は落ち込んで自分自身に情けなさを感じるがもう半日はB&Bが好きでファンクラブに入ろうとか。

主婦になったつもりで家事をやったり、セーターあんだりなーんてけっこう楽しんでる。

10月8日に層雲峡へ行き、名寄から川湯へとわたってきた。

国鉄のおじさんと汽車のなかでゆっくり話したりして、1人で沢山のことを考えることができて非常にいい旅でありました。

しかし、この頃、涙もろくなってなにを見ても泣けてくる。本を見ても、テレビドラマを見ても、山口百恵の引退を見てもニュースを見てもまんざいを見ても……ん!?

とにかく私は元気でおります。みなさん、イン東京でお逢いしましょう。
記 毒リンゴ(第12号 1980年10月)

 

気丈に振る舞っていても、実のところは、そうでもないんです。

酷い仕打ちや、薄情な、身勝手な態度の男たちに裏切られて、女は辛い目に遭います。時には、女同士の闘いも。そんなときには、鬼のように頑張れるのに、でも、そこを通り越してくるうちに、ほんのりと温かいものや、小さな愛の含まれた優しさに触れたりすると、急に、泣けてきたりすることってありますからね。あぁ、きっと男たちには、わからないでしょうねぇ。

 

■美人になって、太った

◎サマーギャルだぞう!

北海道も夏になってゆきます……。

2年ぶりに夏に川湯に行きたく思っております。今年は意外と画期的な自分がみえて、ワッハッハッ! うつ病から脱皮できそう。川湯っていいよ! 誰もいないより、いた方がいいし、冬よりも夏がいい……。

ただ、ボーッと生きるより、行動がなければ、自分が寂しくなる。なんでもいい、興味を示すのがモットーだから、示すものがある間は幸せです。

川湯のようなもので、川湯以上のものはないだろうけれど、違うもので、対抗できるものがあってもいい。探したいねぇ。

元気だから、運動もするし、仕事にも励み、家に帰ってすることもあるし、ハァ~、今はきっと、いい時期なんだろう。

この頃、川湯の思い出は、なぜか全て、楽しく、やさしく、あたたかい。

旅の始まりかな……? by 毒(第20号 1981年6月)

誰が書いたのか、署名もなくそれは不明ですが、岐阜と桑名の仲間でたちで作られた号には、こんな言葉が残っていました。

ドク……同僚のなんとかさんと恋愛。今後、どのような展開をみせるのか気になるところでもあるが、ドクはドクなりに悩んだりするところが女らしくて可愛かったりする。

毒リンゴ 太った。

また、別の書き手は、こういう感じで言葉を記し残しています。

毒リンゴ

この数カ月、毒リンゴという言葉忘れてOLとして恋に仕事にといきている様子。

毒、美人になった! とってもきれいになった。きたないかっこうではちかづきにくくなった。(第23号 1982年3月)

◎ドクの今日このごろ……

私は自宅から15分位の所にある、会社に勤めております。平凡ではあるけれど、充実した毎日であります。

みなさんの間で、色々、うわさされている様子ですがホントに困ったものです。

いろいろとあるんですよネ!!

今回の新聞作りに連絡とれなくて、詳しいこと、書けず残念です。(第24号 1982年4月)

 

男と女の関係は、くっついたり離れたりして、いつも出入りが忙しく、ステディな間柄でさえ常に一定ではありませんよね。親密でも、同じ場所に暮らしていたとしても、関係はずっと変化し続けてるように感じられます。でも、その変化のほとんどが、男の側に要因があることが多いんですけど、と、ここだけは強調しておきたいんですよ、私としては。

……出会ってしまった男と女が、熱を伴って性急に接近したりする、あの、惹かれ合い、互いが間合いを詰めていく昂ぶりの感覚って、この歳になるともうすっかり忘れちゃってませんかねえ。えっ、そんなことはないよ、というのは、やっぱりK・K・Nですか。

ともかく多感で、過敏な、情緒豊かでありながら、反面で、キッパリ潔かった毒が、嵐のように激しく、急展開するいくつかの恋をして、それが、ちっとも自分の思うようにはならなくて。大体、理想的な恋なんて、現実にはありませんし。

 

今も毒が元気で生きていたら、探して歩いてるわけでもないのに、いつの間にか男につまずいていそうな気がします。惚れっぽい、とかでなくて、それはいい換えれば、毒自身の持っていた人間的なバイタリティだったとも思えます。

それに、誰だって、あぁ、そんなようなことがあったよね、と、思い当たるんじゃあないですか。あの頃の堀越貴子と同じようにね。

たまたま出会いの場となってしまった川湯を、ふたりで一緒に出て、富良野の駅で降り、ホテルを探すときの時めきは、どれほどのものだったの? と、Kさんにではなく毒に尋ねてみたかったのになあ。

特有の粘り強さがあって、開けっぴろげで、楽しい人でしたが、毒が最も特徴的で魅力だったのは、独特の哀感をいつも身にまとって離さなかった女だったのよ、と、私は思っています。外から眺めるほど、きっと陽気でも、開放的でもなくて、詩的な人だったのでは、と、空に向かって問いかけたい気分です。■〈了〉(ら)

 

「毒リンゴ」が残した言霊〈上〉

 

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