私欲はどこまで
■「塩狩峠」
■三浦綾子 著
■新潮社 文庫(初版/1973年)
三浦綾子(1922−1999)Miura Ayako
北海道旭川市に生まれる。旭川市立高等女学校を卒業し、旭川で小学校教員となり、戦後すぐに退職。1952年に結核の闘病中に洗礼を受け、その後に作家活動に入る。96年、北海道文化賞受賞、99年に77歳で死去。旭川市に「三浦綾子記念文学館」、和寒町に「塩狩峠記念館」がある。ベストセラーとなった「氷点」はじめ、その他の代表作としては「塩狩峠」「細川ガラシャ夫人」「積木の箱」「天北原野」「泥流地帯」「母」など。
ちょうどこの本を読み終えた頃、偶然、今年(2022年)が著者の生誕100年の、節目と知りました。道内では、とくに旭川周辺では、いろんな角度から、三浦綾子が話題になっているのかもしれません。
そんなことも想像しながら、まず、著者自身が実際に、肺結核と脊椎カリエスを併発し、長く闘病していたことと、病床でキリスト教に打たれて傾倒し、洗礼を受けた事実を踏まえてから読むと、興味も深まると思います。
それから、この小説に描かれる塩狩峠での鉄道事故は、事実として明治42年の冬に起こり、また殉職した鉄道員もキリスト者だったことも、つけ加えておきます。
本書「塩狩峠」でも、全編にわたって信仰が下地となって描かれ、主人公の親友の妹で、かつ婚約者は、著者の実体験と重ねられ、作中において結核とカリエスを患っています。
▼ウブな男の魅力
さて、この小説の時代設定は、明治時代。半分以上の紙数は、今の文京区本郷が舞台となって進みます。塩狩峠はおろか、津軽海峡にすらちっとも近づかないわよねえ、と思いながら読み進むのが、じりじりとしていて面白いのです。
主人公は、永野信夫といいます。仏壇が家にあるような、葬式は仏式で行われるみたいな家に生まれるのですが、祖母は家を守って仏教を信じ、ところが両親と妹はキリスト教徒という間に育ちます。そんな背景なので、問題が起きないわけありません。明治の世のことで、キリスト教はまだ耶蘇(ヤソ)とも呼ばれ、差別の残る時代ですし。
信夫は、そんな親子関係に疑問を感じつつも、真面目で、勤勉。やがて思春期を迎えると、そこに横たわったのは「性欲の悩み」でした。頑強な、重い課題として、また難攻不落の要塞のように、「欲」が象徴的に提示されます。
たとえば、誰とも分からない女が夢に現れたり、町で美しい姿の女性を見かけると、夜はその幻影に囚われたりします。性的な過ちを犯してしまいそうな不安すら感じる、と告白したりして、でも、そうして肉欲に溺れそうな自分と闘い、必死に抗うのです。
……どうやら噂によれば、川湯仲間の男性陣の皆さんには、好色家が多く、この小説の主人公のような悩みは、多分、理解できないんでしょうし、そんなもんは悩みや課題でもなんでもねエ、くらいにしか感じないのかも。でも信夫は、様々な出会いや本来の実直さ、それに聖書の教えなどを助力としながら、女色から解放され、やがて自由になっていくのです。性体験においては、ウブなままの男性ともいえますが、泉の水のように清らかで、こんな透明感がある青年に、わたしは好感が持てましたけどね。
▼世俗にあっても
23歳になって、信夫はいよいよ北海道へと渡り、炭鉱鉄道会社(後の国鉄)の札幌駅に勤めます。意地の悪い、屈折した同僚なども登場しますが、信夫が辛抱強く、寛容に受け止め、そんな頑なな心を少しずつ溶かしていくプロセスも、気を揉みつつも読み応えがあり面白いところです。
信仰に基づく、また、基づかない、は、さておき、人間的な情理としての、誰かのためにというボランティアとか、コストを抜きにした行動などは、本書のテーマでもある「犠牲」とほとんど同義といっていいのではないかなぁ、と読んでいて思いました。
人としての清澄な、ひとつの誠実な生き方が現されている、と思われ、それと各読者自身とを照らし合わせて、どう感じるか、というところが、この小説の醍醐味と感じます。
確かに、現実には、日々いろいろとありますが、自身の欲の追求や満足のために、他人を下敷きにするのは、できれば慎みたいし。俗世にあるとはいっても時々は、俺が俺がの我(が)を捨てて、お陰お陰の下(げ)に生きよう、とか、自己の欲だけを優先するよりも、半歩を譲って他人のために、なんてことも忘れないように暮らしたい、と思いました。
鉄道事故を扱っている、といっても劇的でも凄惨でもなく、むしろ静かに進行する落ち着いた、ホスピタリティの溢れた物語です。
汚れた心がさっと洗われて真っ白になるような、また、心がさわと揺れて、内省する機会を与えられたみたいな気もする、感動的な良書です。(ゆ)
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