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野村川湯「文庫」

野村川湯「文庫」

心奪われる味のイメージ
■北海道の食彩 〈マッカリーナ〉物語
千歳(宮崎ムツコ)

 

■笠井一子 著
■草思社(初版/2005年)
笠井一子(1945年~)Kasai Kazuko
広島県生まれ。幼少期を大阪で過ごしたのち、上京。フリーランスのライターとして、道具(ヒトとモノとの関係性)、職人(料理や建築にたずさわる職人の仕事の流儀)、食文化・生活文化の分野を中心に執筆。その他の著書として「配膳さんという仕事」「京の大工棟梁と七人の職人衆」「プロが選んだ調理道具」などがある。

 

▼豊かな自然の恵み

この物語はドキュメンタリーであり、登場人物や店の名は実際に現存しています。また、市区町村などが大規模に作り上げたリゾート開発が次々と失敗していくなかで、奇跡的な第3セクターとしての事業の成功例でもあります。

と、出だしからそういう話だったので、私は、成功例と言ったって、どうせ、と疑心暗鬼な気持ちで読みはじめました。

 

北海道の広い、肥えた土地の中にある観光地、洞爺(とうや)湖とニセコの間に取り残されたようにある真狩村(まっかりむら)が舞台です。蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山がそびえ立つ、ひっそりとした真狩の、自然豊かで水が綺麗な小さな村での、30年ほど前の夏。各農家がインゲン、アスパラ、クレソン、トマト、ズッキーニなどを育てる広い大地のなかで、この物語の主人公・中道博さんは、ある想いを持って、そこに立っていました。

この時、中道さんは、札幌で経営する「モリエール」というフレンチレストランで、客に出すための水を、わざわざ真狩村まで毎日、汲みに通っていたといいます。

 

……と、ここまで読んで、私は、『あー、あそこか』と、思い出しました。

真狩村のことはほんの少ししか知りませんが、親戚を通して、羊蹄山から流れ込む美味しい水のあるのを聞いていました。地元の人たちのほか、遠方からも大勢の人たちが水を汲みに来ていました。

親戚は、ポリタンクを5、6個ほど持って水場に行き、私も手伝ったのを覚えています。ひと口、飲んでみると、その水は喉を差し支えなく通り、さっぱりとした冷たさと、無味無臭なのにふくよかさが感じられ、身体全体が震えました。美味しい。残念ながら、あれほど水が「旨い」と思ったことはそれ以降、現在までありません。

 

中道さんは真狩に通ううちに、そこで生まれる新鮮でウマい農産物にも魅了されていくのでした。空が広く、高く、札幌では見えないものが見えたかのように、「ここに調理師学校をつくろう」と決心します。そして思いは空のように広がり「出来ればその成果を披露出来るようなレストランをつくりたい」。

 

ハッと、また、私の過去が蘇りました。

私も羊蹄山を背景にした三角地帯、洞爺湖で23歳の時に1年程、温泉ホテルの女中をしていました。現代ではあまり女中とは呼ばず「仲居さん」というようですが。その1年間の経験は、貴重なものでした。お客さんは笑顔で、楽しいことを話し、来られる方も、迎える側も幸せになれる仕事でした。

 

ホテルの朝は早い。少し離れた場所にある寮から毎朝、仕事場に向かう時、そこにはいつも羊蹄山がありました。キンと澄み渡った清々しい空気と、その山の荘厳な姿を見て「今日もファイト!」と思えるような環境で、今では遠い夢物語のようにも感じられます。若かったからかも知れませんが、たくさんの宿泊客の幸せを心から願える場でもありました。

本書を読みながら、中道博さんも、多分、同じような気持ちを感じたのではないかなぁ、と思えました。若いシェフたちを素晴らしい環境のなかで育て、地産地消を旨として作った料理を人々に食べてもらう。そして、幸せなひと時を過ごしていただく。

 

オーベルジュ(レストランを備えた郊外の小規模ホテル)への夢が、パキッと、実像を伴って見えたのではないかと思います。どうやら中道さんが口に出すと、その言葉は魔法のように現実となり、その道で知られた雑誌編集者、グラフィックデザイナー、木造建築士、村長など、次々と頼りになる人たちとの出会いと支援もありました。読んでいてよくわかったのですが、良い人には良い人が寄ってくるんだなぁ、うん、中道さんなら納得できる人物だ、と感じたりもしました。

ある日、そうして知り合った素敵な仲間たちと和気あいあいと話をしていました。その時、誰もが、「真狩はいいね」と言っていたことから、店の名前は「マッカリーナ」になったそうです。それを読んで、なるほど、ピッタリきて、いい名前だ、と嬉しくなりました。

 

▼ガツガツと食べてみたい

さて、このプロジェクトチームの中に私の感想では外せない人物がもうふたりいます。

ひとり目は「マッカリーナ」のシェフに任命された菅谷伸一さん。数々の経験を積みながら料理の道にすすみ、その腕を買われ「マッカリーナ」のシェフに辿りついたのです。

その後菅谷さんは、店で出す食材として、農家の好意で借りた畑で野菜を作りはじめました。私は一時、家庭菜園なるものにハマったことがありますが、もう大変すぎて、シェフをしながら畑作も兼業? なまら働くなぁ、この人、と、その苦労がよくわかります。

しかも、菅谷さんは裏山に登り、山菜採りもします。山菜採りならオグス(小楠厚子)も名人です。1度、秘密の穴場でオグスとセリを採ったことがあります。足元は危うく、ヘビが出てきそうだし、クマも出るかもしれない。なんとも怖い作業です。そんな危ない仕事をしていても菅谷さんは「今日の前菜はこれにしよう」なんて思いながら、嬉々としてやるのです。

どう筋を通せばこうなれるのか、と思います。この本には出ていませんが、菅谷さんは後、狩猟免許を取得してジビエ肉も扱うようになります。ハードな日々を淡々とこなしているのです。何もかもに新鮮さを求める探求心。この人スゴい。

 

もうひとりは、橋本貴雄さん。給仕長(メートル・ドテル)として「マッカリーナ」のレストラン棟マネージメント、宿泊棟も含め全体を統括する仕事に就いた人です。

私はまず、容姿にキュンときました。身長190センチ近く。細身で軽やかな物腰。写真が出ていて、こんな橋本さんに給仕されたら、もうハートマークいっぱい振りまきつつ、話がしてみたいと思いました。ほぉ、っとため息がでそう。

給仕長って知らなかったけれど、何もかもお客さんの身になって質問に答えなければならないんですね。ところが橋本さんは、それらの問いや疑問に答えられない時期から3年ほど、足を使い、様々なところに出入りし、知識や人間関係を築き上げ、真狩の土地や、季節のリズムを理解し、質問にもきめ細かく答えられるようになったとか。

 

そんな素晴らしいスタッフたちに支えられた「マッカリーナ」。1997年6月のオープニングセレモニー時には、すでに2カ月先まで予約が埋まっていたようです。

手の届くところに豊かな食材があり、新鮮な野菜や肉や魚が食べられる。そして、最高のサービス。どうしてこんなに美味しいの、と感じさせ、興味を持ってもらう。食を通して世界に「真狩ブランド」を発信して行こう、との想いが現実になったのです。

 

読み進むうちに、ぜひ「マッカリーナ」に行ってみたいと、私の心は奪われていきました。土のついた状態のまま運ばれてくる新鮮なホワイトアスパラが、菅谷シェフの手で調理され、茹でただけの料理も出てくるらしいのです。それをガツガツと食べてみたい。

フランス料理は敷居が高く感じられますが、考え尽され、手の込んだ料理が、疑いようもなく素敵な紳士によって運ばれてくる。それはもう北海道らしく、ドサっと出てくる。そんな旨いもんを、心置きなく楽しみたい。私の身は震えました。

 

多分、私が思うに、「マッカリーナ、完成、バンザイ」と祝ったであろう、著者・笠井一子さんのこの本には、人と人の良縁が繋がって、素晴らしい結果を生み出した奇跡が書かれている、のだと思います。それは羊蹄山を背に控え、新鮮な、豊かな食材のある真狩だったから成立したのです。そして北海道人の気質もおり交ぜながら、人々の情を巧みにすくい取るように書かれ、読んでいて感情移入できる物語でした。

環境を変え、夢と希望をかなえた中道さんと仲間たちの話を読み終え、当初の疑うような気持ちもすっかり失せて、私も一歩前に踏み出したいな、と奮い立ちました。■

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