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野村川湯「文庫」

野村川湯「文庫」

都合のいい理想的な女像
■「北都物語」

■渡辺淳一 著
■新潮社 文庫(初版/1980年)
渡辺淳一(1933−2014)Watanabe Jyunichi
北海道空知郡上砂川町に生まれ、小学生より札幌で育つ。58年に札幌医科大学医学部卒業。65年に新潮同人雑誌賞を受賞。66年、札幌医科大整形外科講師となる。69年に同医科大の講師を辞して上京し、専業作家となる。70年、「光と影」により直木賞受賞。80年に吉川英治文学賞を受賞。2003年には紫綬褒章受章、同年、菊池寛賞受賞。「白い宴」「死化粧」など医療小説、「花埋み」「遠き落日」「光と影」などの評伝、伝記小説、また晩年は「化身」「失楽園」「愛の流刑地」など恋愛小説で知られた。

 

▼出会ったその日の夜に

タイトルからすぐに知れるように、北都=札幌を舞台にした中年男と、大学生・絵梨子との、出会いから別れまで8カ月間ほどの、愛の、ひとつの男女間の姿が描かれた物語です。

初出は、北海道の月刊誌で、1973年から74年にかけて連載され、完結後じきに単行本化されています。年代としては、ちょうど「野村川湯小学校」前夜、という頃で、わたしたちにしてみたら時代背景としては、ああ、あの頃ね、と共感はしやすいのかも知れません。

 

ところで、中年オジサンと、女子大生って、普通はなかなか出会う機会や接点はありませんよね。ただ、夜の街などでバイトしてる女子学生もいて、まんざらチャンスがない、とはいえないのかなぁ、とも思いますが。この小説でも、そんなふうな状況設定で、ふたりは出会います。

……で、いきなり出会ったその日の夜に、男の部屋に、ほんのちょっと誘われただけなのに、むしろ絵梨子の方が積極的とも感じられ、「お寄りしてもいいのですか」とかいって、札チョンの部屋に上がり込みます。慌てるのは、オジサンの方でしょう。

しかし、読者はこれくらいのことで、ウソだろう、そんなのあり得ないよ、などと感じながら読んではいけないと思いますよ。この物語に従順に、どっぷりと鼻のうえまで浸って溺れるように読み進むことで、ぐっと面白く感じられるのだと思いますから。

だって、小説のなかでしか起こらない偶然だよね、とかいってみても、日々の現実にだって説明のできないようなハプニングや事件は毎日のようにありますし、むしろ小説以上の不可解なことの連続ですからね。不思議な出来事や、いくつかの奇跡的な偶然が重なって、わたしたちの今がある、わたしはここにいる、のではないですか?

 

▼オジサンの幻想を満たす好著

さて、本書の著者である、巨匠・渡辺淳一が、あんまり好きでない、という意見やら感想を、時々、聞くことがあります。わたしを含め、そういう人は女性に多いようです。もちろん熱心な女性ファンもいるんでしょうが、好きになれないわあ、とか、女に嫌われちゃうのはこういうところかもなぁ、と、読みながら感じていました。

ひとつには、権威主義なところが出過ぎちゃう、からかも知れませんね。

例をあげると、一流商社、一、二を争う高級クラブ、名門のK大、札幌では最も設備の整ったマンション、一流会社の支店長、札幌のホテルのなかでは一番の老舗、高級な会社専用の賃貸マンション、一流の人達……など、とにかく頻出します。主人公の中年男の周辺は、もう一流と高級ばっかりだぞ、と、ぐいぐい攻め立ててくるんですね。リキミ過ぎなんですよ。これを意識して渡辺先生が書いてるとしたら、安易に一流とか高級とはいわずに、もっと別の言葉をもって強く説得されたい、と感じますし、もし素直に、自然に書いちゃってるとしたら、やっぱりわたし個人としては、心底からは好きになれない作家かなあ、とも思います、いくら札幌の名士であり、巨匠作家としても、です。

 

それと、あんなに美しい子と、とか、かなりの美人である、美人を揃えている、など、美人もあちこちのページに出てくるし、「男ならよくて、女ならいけないの」と絵梨子に問われて、「まあ、一応はそういうことになる」といってみたり、「あんな美しい獲物はもう二度ととびこんでこない」みたいにいう男は、やっぱり女からは好かれないだろうなぁ、とも思いますしね。……時代が違う? それだけかなぁ。

男の側の視点ばかりで、女の立場が希薄にも思え、ほとんど女心には触れられずに描かれていますね、いわなくても分かるでしょ、といわんばかりに。そのへんの解釈は読者に委ねられた、とすると、女性からしたら、やっぱり反感にもつながりますかねえ。

 

最初に絵梨子と情交を結ぶときのスムースさや、部屋の掃除や料理+セックス付のバイトとして雇うのも、また、望まない妊娠をしてもほとんど面倒にもならず、別れる際も絵梨子はグズらずに、あっさりと、実にサッパリしていますし。

ところが肝心な、その絵梨子自身の内面はとほとんど描かれず、一方通行で、想像するばかり。……となると、結局、男に都合のよいだけの可愛らしい、ガラスのように華奢な体の、小鳥、と、なってしまいます。女の感情や心の動きはほとんど考慮されずに、あくまでも男から見た理想的な女像が、この小説にはしっかりと描き込まれているのです。その点では、さすがに巧い、と舌を巻くほどです。

それから、札幌の市街地の風景描写があちこちにあって、実際には、その場に行ったことがなくても、ああ、そんな感じかなぁ、と、臨場感が掻き立てられます。

そんな札幌の街にひとり身を置いて、若い娘の奔放さにハラハラしながらも、ひと時の恋を楽しんでみたい、というオジサンの幻想をしっかりと満たしてくれる好著であります。(か)

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