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野村川湯「文庫」

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K温泉での、
ひと夏の恋の物語
■「サビタの記憶/廃園」

■原田康子 著
■新潮文庫(初版/1991年)

原田康子(1928−2009)Harada Yasuko
1928(昭和3年)年に東京に生まれる。幼少より釧路市で育つ。市立釧路高等女学校卒業後、東北海道新聞に勤務。53年「廃園」を発表、翌年に新潮同人雑誌賞に「サビタの記憶」を応募。55年から「北海文学」に「挽歌」を連載し、翌年、出版されベストセラーとなり、映画化。女流文学賞、吉川英治文学賞受賞、北海道文化賞受賞など受賞。09年、札幌にて逝去、享年81。23年「原田康子の足跡とその作品展」(釧路文学館)が開催された。

 

▼列車とバスで4時間

釧路にいて小説を書き、発表する作家が幾人かいます。原田康子もそのひとりでした。

「廃園」では、若い男と不倫する主婦・むつ子が、代表作「挽歌」では、中年男と不倫する若い娘・怜子を、そして、思春期の女子中学生が青年に恋をするのが、「サビタの記憶」です。主人公たちは女性で、各々の恋や愛の形が描かれている、ラブ・ストーリーです。

これらの小説が書かれたのは、昭和20年代の後半から、30年頃にかけて。ちょうど私たちが生まれる前夜、まだ母の胎内でなく、父の側にあった時代でしょうか。なのにこれらの小説は、今読んでみても、古びているどころか、全体にシャレていて、ところどころでは、懐古趣味なんかではなくて、いい感じに懐かしいのが不思議な味わいです。

大体、「昭和の時代」といって、現代ではあの頃を面白がりますが、まだシャワートイレは発想すらなくて、ポットンが当たり前だったし、夏になれば、蚊帳を吊って寝てました。靴下には穴が空き、継ぎ接ぎだらけ。もし兄弟姉妹がいれば洋服はお下がりが普通で、ユニクロもない。今は、清潔で、こざっぱりとして、小学生にすら大人びた余裕がありますから。

さて、原田康子の処女作「サビタの記憶」にも、70万部が売れてベストセラーになった「挽歌」にも、「K温泉」が登場します。川湯です。ついでにいうと、硫黄山(アトサヌプリ)も描写されてます。「サビタ」では、物語の主舞台として、「挽歌」では、ふたりが結ばれる場として出てきますから、K温泉は重要な役割を担っているのです。

実際には、著者自身が、幼少期から川湯に通っていて、馴染みがある、と、あとがきに書かれています。釧路から、当時、列車とバスで4時間ほどの北の高原、ともあります。

▼愛への助走

主人公の病弱な少女が、療養のために川湯の「山城館」を訪れます。そこで同宿の、背の高い、もの静かな、目立つことを嫌う謎の多い青年・比田と知り合い、親しくなる。そうですねぇ、なんとはなしにユースにいた頃の、……高田さんみたいな雰囲気のお兄さんでしょうか。そして次第に、少女のなかに、蝋燭のような、ほのかな火がポッと灯ります。思春期の恋ですね。全体的に、そんな少女の左右にスイングする胸中がよく描かれていて、この物語の骨格になっています。

 

そういえば、今年の夏、川湯で泊まったホテルにも、決して利用はしていませんが、混浴があると案内されました。この小説で少女たちが泊まっている山城館ももちろん、男女共浴です。そして、比田は、いつも少女を風呂に誘います、当然、俗な下心なんかなしにね。

……病弱であっても、私の乳房はふくらみはじめていた。乳首は桃色になり、こりこりと固くて、ふれるとうずいた、と、書かれ、へえ、思春期の少女って、こんな感じなんだね、と、思ったりもして。そして、他の男に裸体を見せてもいいけれど、比田には恥ずかしい、とか、複雑で、微妙な女心が巧く、活写されます。

ところどころに、例えば、雷が鳴ったり、比田の恋人が訪ねて来たりして、そうして予測できない不意の出来事も練り込ませながらも、このショート・ストーリーは進行します。

ところで、タイトルに採用されている「サビタ」ってなんだろう、と思いますよね。

比田は、風呂にも誘ったのですが、少女を散歩にも連れ出しました。ふたりで温泉街のなかを流れる川沿いを、ゆっくりと歩きます。その時に低い灌木が、芳香を放つ花をつけていて、それがアイヌの言葉でいう「サビタ」です。ノリウツギ(アジサイ属)のことといいます。思春期の揺れる気持ちを重ねる野の花としては、ちょうどいい配役なのかも知れませんね、しかも、北の国の夏らしいし。

あちこちに散りばめられた、かつての温泉街の情緒や、今も変わらない硫黄山の煙の匂いを思い出したい折りに、本書をパラパラっとめくってみるのもいいものです。

薄くて、壊れやすいシャボン玉みたいな少女の恋は、お約束通り、いつまでも順調になんていきません。少女のひと夏の短い恋は、突然、終わりを迎え、他の作に描かれるような、大人の愛の物語へと大きく進展していくのです。(ゆ)

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