野村川湯YH Share1975 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

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家庭的で、のんびり
昭和50(1975)年6月7日(土)

6月のそよ風なんかふきますと 小さな旅へ出たくなる

港へなんか行きまして つないだままの船に乗り 誰かと別れるまねをする

波はヒタヒタよせていて しお風なんか目にしみる

ハンカチなんかふりまして 別れる人もいないのに 涙なんかがこぼれ出し

私 少しあわてます

野村川湯YHのペアレントさんとてもイイ方です。

当日申込みの私にもとても親切にして下さいました。

ここはとてもとても家庭的でのんびり出来ます。又いつかきっと来ます。

兵庫県尼崎市南塚口町1-9-12

尾方とき子

父さんと母さんの自然体が、またいつか、と、旅人の感傷を誘うのでしょうか。

 

親戚の家
昭和50(1975)年6月13日(金)

やっとあこがれの北海道へ来ました。

今日で2日目、ふたりだけの夜かと思っていたら、飛び入りふたりがあり、4人で過ごすことになってよかったです。

あたたかいもてなし、ありがとうございました。親戚の家へ来たみたいで楽しかったです。

東京より来た女の子チャンふたりより

 

夕食は赤飯だった
昭和50(1975)年6月15日(日)

今日は女5人、女の天国なのだ。

江戸時代のお風呂に入り、夕食は赤飯なのだ。最高。心のこもった夕食だった。

札幌まつりと父の日がかさなり、特別だそうだ。いい日に来たものだとみんなでニッコリ。

もっと書きたいのだけれど、時間切れになったから。

ではまたの機会に。

九州、青森、三重、茨城の2人組

「札幌まつり」は、2月に開催される「雪まつり」とは別もので、北海道神宮の例祭をいうようです。この夜は、どんなごちそうが食卓盆に並んだのでしょう。

 

出戻り
昭和50(1975)年6月20日(金)

今日で周遊券が切れます。8日ぶりの出戻りでした。

天気快晴。6月12日は摩周湖は霧ひとつなかったが、今日はもっといいと思うので行く。

髙橋

三文判を旅先まで持ち歩く「髙橋」は、帰りのキップは、どうなった。

 

はや6日
昭和50(1975)年6月29日(日)

晴れるまで待とうと、腰を落ちつけて、はや6日目。ここのYHも5連泊となりました。さすがの我々も待ちくたびれたというか何というか……。

今日は丸瀬布へ行こうと思います。長い間、どうもありがとうございました。もし、晴天の日がありましたら、また、戻ってきますので、その折はよろしくお願いします。

京都・同志社大 蝶々採りの4人組

丸瀬布は、オオイチモンジの著名なポイント。 情報や技術のほかに、蝶採りにはタイミング、天候、生り年や裏年など、運も必要条件です。

 

北海道の4美女
昭和50(1975)年6月30日(月)

私たち4名は、同じ北海道に住む美女たち。

ここに来る人たち、多くは本州の人たちばかり。まあ、同じ日本人いろいろなところを知ろう。

山口真知子、佐藤八重、沼田洋子、水谷育世……4人の友情はこれからも細く長く続きます。皆さん、友だちとは、ほんとうにいいものです。友だちの友だちは、皆、友だち。

あいにく、私たちの旅行は天気に恵まれず、また晴れた日に、もう一度、来たいと思ったところばかりです。

天気は悪くとも、心はいつも夜明けです。

2日間の旅、また針を持っての毎日、せめて1日、いや半日でも、太陽さんの顔が見たいデース。

皆さん、若い日は2度と来ません。思い出をたくさんつくりましょう。

前から、道産子には麗しい方々が多いとは感じてましたよ。

 

ヘルパー日記 その1
昭和50(1975)年7月11日(金)

今日もまた雨であった。きのうはたった2名。

今日はどうなるのやら。

まだ、硫黄山の山頂に雲がかかっている。

……となると、ミーティングは、きっとやらなかったんでしょうねえ。 7月とはいえ、雨が降ると寒いが多いのを、ふわっと思い出したりして。

 

ヘルパー日記 その2
昭和50(1975)年7月12日(土)

天気不順の為、熊が出てきてるそうだ。

山登りの人は、気をつけるように。

この辺にいるかもしれない。恐いど。

ホステラー諸君へ

「諸君」……だってさ。 最近ではあまり聞かれなくなり、時代を感じる呼び掛け方。

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