ヘルパー日記 その5
昭和50(1975)年7月17日(木)
今日は久しぶりに川湯の町、下界へ降りていった。
久しぶりに冷ーコーが飲みたかったからだ。
久しぶりに自転車に乗ったので、疲れたようだ。
久しぶりに、つれずれなるままに書いてみた。

この地図は、労作です。やや粘着質な感じありすが、これはきっと京都への誇りと郷土愛なのかもしれません。

京都中心部の、生の、細かな情報も書き込まれています。
コンパルシーダー、タンゴがかかるぜ。夏の夜になるとスゴイのだ。その気のある人は、かい中電燈(ママ)をもっていこう。
四条通、河原町通は高い、寺町通りなど、小路をねらえ。(コーヒーなど、物価の話)
コーヒーは、高いところで、350円、450円もするで~。

ラ・クンパルシータを聴きながら? ……暗いところで、なんか別のことをして楽しんでる人たちが、いるんでしょうか。
ヘルパー日記 その5 続き
昭和50(1975)年7月17日(木)
ホステラー諸君へ告ぐ
当ユースに泊まるホステラーは、次の行為をした方が望ましい。
・時間があれば是非、硫黄山(アトサヌプリ)に登りたまえよ。往復2時間ほど。
・白樺の間に続く白い道を散歩する。
・この辺一帯は、昆虫の種類が多い。ゆえに、チョウマンがよく泊まる。10連泊 という強者もいた。絶滅にもなりかねる(ママ)ので、あまり取りすぎないように。
この山の隣に、ポンポン山、ボウシ山がある。これは、川湯温泉の町へ行く途中、左に大きく見える。
ポンポン山と聞いただけで笑う輩もいるが、山を登って地面をたたくと、ポンポンという音がするので、この名がついた。当ユースの部屋の名前にもなっている。低脳部屋の隣だ。
その隣、ボウシ山がある。ボウシをかぶせたような形なので、その名がある。
このようなことは、ガイドブックにも載ってないので、是非写して帰るように。コピーもしていってや~。

京都から一転、硫黄山など、ユース周辺の観光ガイドのような内容です。
ヘルパー日記 その5 続き
昭和50(1975)年7月17日(木)
B館、C館の裏は、川がながれていて情緒がある。
特に、風呂へ行く時に渡る橋から、A館、B館の方を。
・江戸時代の木造の風呂へはいろう。
・熱々のトンカツ、うまい米を食おうナ。
・そして、楽しいミーティングに出る。
・そして、明日を夢みて、ハイ、おやすみやす。
しかし、今日は、よく停電する日である。ヘルパーもいろいろと、疲れます。
ハイ、時間きました。サイサラ、サイサラ……。
3ページも書きました。ハイ。

当時、時々、というよりも、ちょくちょくユースでは停電があったんですねえ。そうだったかなあ、と、すっかり薄くなった記憶をまさぐってみたりして。
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