野村川湯YH Share1975 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

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テープで補強され、裏表紙が失われてしまった自由帳が残されていました。

1975(昭和50)年の5月1日から、ユース内に置かれ、宿泊者によって書かれ継がれてきた、古い、ぼろぼろのノートです。

直ちゃん(松田直子)が長く保管していて、父さん(上田上)と母さん(久子)が、新米ペアレントとしての任に就いたときに、置かれたものと思われます。

76年7月1日に真くんとフッコがやって来るまでの、1年2カ月の間の、美しく散っていった、ひとひらの花びらみたいな言葉たちを、採録します。

 

ビーよりきつい
昭和51(1976)年1月29日(木)

 

暖ったかい、ホント!

礼文で5日間のんびり< 全くのんびり、しかしながら、きのうから乗換へ乗換又乗換えてやっとユースに着いた時、もー負けそーのダウンタウン、明日は又流れ流れて尾岱沼へ。

こんなにちかれたシー(ビーよりきつい)は初めてだ。こんな疲れる旅あっていいの?

アイボーよ! 答えてくれと言ってみても、たった1人この部屋で、雪はダンマリ、風は知らん顔、ガタゴト言葉は分かんない。

明日は流氷でも見に行こうかしらん。だけど、せつない1人旅、さみしすぎる北の里。

それでもやっぱり又来るヨ。暖ったかすぎる雪の里。

人呼んで放浪癖のカーコちゃん

 

杉浦さん、おめでとう
昭和50(1976)年2月8日(日)

 

2月4日、東京を出て、釧路に10時に着く予定が、どういうわけか、千歳に降り、計画がすべて狂ってしまった。

何が一番くやしいといって……

5カ月ぶりに会えると思って来た人と、たった2時間しか話ができなかったこと。

でもあいかわらず、元気で、一人前に掛長(当社は係を使用せず)になって部下などを引き連れて、私の前に現れた。

冬の寒さに耐えかねて、イジケ虫になっているのでは……と勝手に思っていたら、本社の管理からのがれて、自由に製鉄所で働いている感じ。私も、室蘭に転勤した~~い。

二度目の北海道も、あと2日で終わりる

今度も、お天気に恵まれず、あまりパッ!としなかった。

流氷もまだだし、白鳥もすぐに逃げられたし。

私って、もう家が恋しくなって早く帰りたいと思ってる。
(お嫁に行けるかな?)

北海道へまた、来ます。今度は、春か秋に。その時はきっと、きっと晴れさせてみせる。あと3年、あと3年、頑張れば。

杉浦さん 結婚おめでとう。

 

あったかい雰囲気
昭和50(1976)年2月9日(月)

 

冬の北海道3泊目。

流氷も見たし、氷った滝も見た。次は白鳥なのです。

あったかい雰囲気で食事も一番良かったし、英気を養ってぐっすりねよう。

みどり、のぶ子

 

なまけ者故
昭和51(1976)年2月13日(金)

 

札幌→帯広→釧路→厚岸→根室→阿寒湖→摩周湖→尾岱沼→川湯→??

これだけ動くのに12日間、動きたくないと動かぬなまけ者故、感激したのは鶴の美しさ−−。

これから帰るまで、周遊券ぎりぎりまでヤケクソで動く我が身であります。

電話もせずに、駅で、どうしようかなんて思っていたら、ユースの車が来たので、飛び乗ったのですが、とうさん、かあさん、迷惑をかけてしまってすみませんでした。

昨夜はあったかく過ごせ、今夜はどうかなあ~。

新海エツコ  さようなら又ネ

 

千秋は、66歳に
昭和51(1976)年2月24日(火)

 

オレ、今、高校3年、3月10日から会社が始まる。

会社に入ったらもう北海道になんかなかなかこれないもんで、みんなに借金して回ってなんとか北海道に来たんだ。

オレが冬に北海道に行くといったら、みんながバカにしたように「この寒いのに北海道なんかに行くんだ」と言うんだ。オレは「冬の北海道は人が少ないし、雪と海と流氷を見たいから行く」と言ってるんだ。

3月1日、卒業式なんだ。卒業式に出るとなると、今日を含めて5泊しかできない。なぜにして冬の北海道は交通の便が悪いんだろう。運休が多すぎるんだ。

ここに来て、初めて冬の北海道に来たという感じをうけた。今までが暖かすぎて雪が少なかったからだ。明日はどこへ行こうか? ヒッチなどでもしてどこかへ行ってみたい。

このとしまできてまだヒッチの経験がないもんだからネ。一度やらなければ。

誰か、いつでもよいから手紙くれないかなァ~。

つい信 オレ、文章かくのヘタだし自分でも何を書いてるのかわからなくなる。それでもよかったら手紙おくれ~。

〒441−12
愛知県宝飯郡一宮町大字江島東貝戸××−×
牧野千秋 年齢18

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