野村川湯YH 人に七癖 我が身に八癖 | 野村川湯YH 野村川湯ユースホステル

人に七癖 我が身に八癖

人に七癖 我が身に八癖

クセ者たちとのつながり
ランユー(石川 衛)

 

なくて七癖、という言葉がある。そうすると、自分にもなにかありそうな気がするが、どうも、思いつくものがない。じっくり探してみても、これといったものが見つからない。

一方、癖の強い、曲者、という言葉がある。なにか厄介な人という印象が強く、無味無臭の自分には、さらに関係のないような気がする。

そこで、ふと思った。そんな自分に比べて、川湯の仲間のなんとクセの強いこと。とくに、風貌がとか、行動が変というわけではないが、なにかを感じる。まさに、クセ、曲者の集まりであったと。これまで、自分が一般社会で出会った人たちのなかで、やはり異彩を放つ存在であった。川湯 in Tokyoで、会場の前に集まっている姿だけで、周囲と違和感のある集団だった。改めて集合写真をみても、ある種のオーラがあるように感じるのは、自分だけだろうか。

思い返してみると、40年前の川湯もとても変なところだった。朽ち果てたような建物、なのに、そこに溢れかえるような仲間たち、笑い声、バカ騒ぎ。当時の自分にはなかった大きな違和感、それが楽しくもあり、あこがれだった気がする。あの時間、あの場所がそれを生み出していると感じていた。

先の刊行記念会(2018年11月)でのみんなの様子は、当時にタイムスリップしたように変わらなく、そのままであった。みんなあの時を忘れず、思い出していると思った。見た目は、もちろん年を経て、分別くささも多少あるけれど。

でも今回、はたと気がついた。川湯の仲間はみんな元々クセの強い、曲者だったのだと。あの川湯で感化され、花開いたかもしれないが、基本は生まれつき変な人たちだったのではないか。だから、思い出したのではなく、素のままに戻っただけなのだと気がついた。

そんな曲者たちが集まり、同じ時間、同じ場所を共有したことは、奇跡だったのかもしれない。もちろん、その奇跡が降りてきたのは、父さん、母さんという存在があったからこそ、なのは言うまでもないだろう。

 

こうした川湯の集いについて、一般の人に話すと、そのつながりの深さに驚かれると同時に、自分にそんな一面があったことに驚かれることがある。そして、そういうつながりを持っている自分が、ちょっとうれしくもある。そうした奇跡に触れられたことは、普通な人である自分にとっては、同じく奇跡であり、幸運だったのかもしれない。

 

また次回、みんなが集い、解き放たれる日がくることを楽しみしている今日この頃なのだ。■

 

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