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野村川湯「文庫」

野村川湯「文庫」

あやしい探検隊と一緒に旅してみる
「あやしい探検隊 北海道乱入」

千歳(宮崎ムツコ

 

■椎名 誠 著
■角川文庫(初版/2011年)
椎名 誠(1944− 78歳) Shiina Makoto
東京都世田谷区に生まれる。64年に東京写真大学(現・東京工芸大学)入学、翌年中退。77年から「本の雑誌」の編集に携わり、79年「さらば国分寺書店のオババ」でエッセイストとしてデビュー。代表作は「わしらは怪しい探検隊」シリーズ、「岳物語」「アド・バード」など。2000年頃に北海道の余市に山をふたつ購入し、別荘を建て地元住民と交流を持ちながら執筆する。これらのことは「あやしい探検隊 北海道乱入」にも描かれている。その後、別荘を手放し、今に至る。写真家、映画監督としても活動し、近年では仕事を続けながら、コロナやピロリ菌と戦っている。

 

●美味三昧の物乞い旅

まず初めに この本の作者、椎名誠は私の好きな作家であり、読み始めたのは、私が20歳そこそこの頃からであることを報告しておこう。

この本は1980年からのシリーズです。最初は、キャンプで焚火をして大宴会をするだけの、椎名誠が率いるサークルでした。その参加メンバー達が、日本国中はもとより、世界各国を巡り始め「あやしい探検隊」は、長いシリーズとなりました。

今回は、あやしい探検隊10数年ぶりの活動、北海道乱入で北海道出身の私としては、いろいろと感慨深く、そして疑い深く読んでみました。

以下、あやしい探検隊を『探検隊』と省略します。

 

まずは、フェリー・さんふらわあで着いた苫小牧。8人一行は、北海道の爽やかな空気をいっぱい吸ってよし! いくべ、となる。

ここに来たら、私ならウトナイ湖に寄らなければならない。ウトナイ湖には、様々な野鳥や、自然観察、時期になれば白鳥が来ていて、当時は温泉もありました。

そして、そこには、50年前にあったローラー剥き出し式のマッサージチェアが、ウィーンウィーンと稼働していた。小さくてもやりたい! やりたい! と親にせがんだものでした。現在は、温泉はなく、道の駅になったようだ。

 

しかし、探検隊はそこを素通りして、(旧・日高支庁)静内町でキャンプの予定。しかも椎名達は、途中、室蘭からからやって来た知人に会い米、酒を大量に頂きウハウハ。この旅は、当初から物乞い旅にしようと決められていたからである。

そして、静内町に到着。

静内町は知る人ぞ知る馬の産地とされ、競馬馬の育成場があちこちにあり、私のことを話すと、中学の同級生の親戚も競馬馬の牧場を静内町で営んでいたのです。その同級生に「一度遊びに行こう」と誘われていたけれど、馬には当時興味がなく、今思うと素晴らしい思い出を棒に振ってしまったと後悔しています。

静内町で、探検隊は、牧場の敷地内にテントを張る。ジンギスカンやビールサーバーなど羨ましいと思っていたら、室蘭からまたも押し寄せて来た軍団からの喜捨があり、北海道尽くし三昧の大宴会となるのであった。ヒヒィーーン! ブルブルブル。

彼らは翌日、道東の釧路へ移動。

釧路といえば、野村川湯YHに行った時通った街だ。当時、高校生の私は、千歳から夜行の汽車に乗りました。そして、ガタンゴトンと一路、川湯を目指す。途中、どこかの駅でおじちゃんが乗って来て、私の目の前に座りました。ボックス席なので、近い距離。

おもむろに、おじちゃんは、持っていた新聞紙を広げ、「あんたも、たべれ」と言って毛蟹を披露し、渡してくれました。まだ、凍っていたけれどお腹が空いていたので、貰った毛蟹はマジに旨かったのでした。

 

そのおじちゃんとは釧路で別れ、川湯温泉駅へと向かう。釧路は、私にとっても乗り換え駅でした。時刻表という分厚い本を持って、どんどん川湯へ向かっていく。ドキドキとワクワクが止まらない。

 

探検隊の一人である、ヒロシという人物は、食べ物に関して嗅覚、臭覚、聴覚に優れていて、「釧路と言えば? 」の問いに「仁です」と答えた。仁という店は、タンメンが旨いらしい。その情報は、今しっかりと私の大脳皮質情報管理部に追加された。

そして、探検隊はゾロゾロと、厚岸に向かう。厚岸ならば、牡蛎だ、牡蛎祭りだ!

 

内地に暮らしはじめてから、私の北海道の親戚たちは、「むっちゃん。厚岸の牡蛎祭り行ってきた。なまら旨かった。今度一緒に行こうね」と何度も言われたが、いつも行けなかったのだ。未だに行けてない。

しかし、探検隊は顔見知りの牡蛎小屋で、牡蛎、そして漁師が網に入っているとセリには出さず自分達で食べてしまうという幻の極上鱒、クチグロのチャンチャン焼きをたらふく食べたのでした。これも贅沢な物乞いですね。

 

●母への贈り物

 

次に探検隊は、知床へと車を走らせる。

私の場合は、野村川湯YHに着いて翌日、一人初めてのヒッチハイクで斜里、知床と回った。おもにトラックが多かった。その中でよく覚えているのは、大学生3人組の車が停まってくれ斜里に向かう途中、惨事が起きたのだ。

ネズミ捕りである。

ドライバーは点数を取られて、罰金取られて、私は申し訳ない、と心で思いました。でも何も出来なく、降りるとき「ありがとうございました、ごめんなさい」と屈伸運動が得意な私は、深々と頭を下げたのでした。

しばらく、もうダメと自分のことではないのに、心がすっかり暗くなってしまっていました。一転して、そこから知床に向かう車をヒッチハイクした時にはホッとして、しかも知床五湖に行くという飛び切り嬉しい言葉に歓喜し、その時には、ネズミ捕りのことはスッカリ頭から消えていたのでした。

 

知床五湖は、天気もよく晴れ、素晴らしくキレイで荘厳だった。ありがたや。

私は、やさしいヒッチハイクの車の人達に礼を言い別れたあとは、歩きで、探検隊同様ウトロに向かった。テクテク歩いてる先で、急に道がなくなった。

本当は斜里の知床岬が北海道の最東端なのに、その時の私はうれし涙を流し『ここが北海道の最東端だぁ』と思ってしまったのでした。見ると、すぐそこに小さな店がありました。とても喉が渇いていた。「ごめんくださーい」返事がない。「ごめんくださーい! 」やはり誰もいないのか……。

店を出て周りを見回すと、漁師の奥さんっぽい人が歩いている。

「すいませーん。お店に誰もいないんですけど」

「ああ。今、漁に出てるから欲しい物取って、金、置いとけ」とのこと。ああ。田舎だなぁ。いいなぁ。これは、よい思い出である。

 

探検隊達は、道央の岩見沢に向かう。メンバーの一人、太田トクヤの母親に会うためである。私は、小学校4年生で母を亡くした。太田トクヤは、年老いた母に杖をプレゼントするのであった。あーー、母が生きてたら私も同じことをしてたなぁと、ちょっと感動。

 

ついに探検隊は最後の目的地、小樽の西にある余市へ。

余市には、椎名誠の別荘があり、商店街のお得意様で有名人の椎名達は、余市のワイン(欠かせない)や盛大な海産物の物乞いで大宴会。

別荘といえば、今は私も千葉で手に入れたが、実は、以前、北海道で探していた時期がある。50坪くらいなら買えるだろう、と思っていたら、椎名誠も書いているが、北海道は土地売買では50坪なんてかなり難しいようだった。500坪、1000坪、山一個単位なのです。椎名は、山一個買って、なんだか分からぬ内にもう一個の山も買ってしまったらしい。その山の一つに建物を建てたのだが、冬は冬で除雪、夏は夏で草刈りをしなければならず、大変だったそうです。

そこで、私は、管理の出来ない土地や建物は買えないな、と今の小さな別荘で充分満足している。現在は、椎名は、余市の別荘を手放したようだが、私も歳をとって、運転が出来なくなったら、歩いても便利な街に引っ越そうと思っている。

 

さて、そうして大宴会続きのあやしい探検隊 北海道乱入の旅は終わった。

著者があとがきで書いているように、本当の物乞いの旅は、今の日本では難しい。そう、今の日本は、私が女一人で川湯に向かってお気楽に旅ができて、なんの疑いもなくヒッチハイクをしたりして遊んだ時代とは大分変ってきた。

物乞いなんて、トンデモナイ。女の一人旅も、泊まれる宿がほとんどないくらいだ。これから先が不安でもある。

最後に、この本は羨ましくもあり、思えば懐かしい話だった。

ただ、知り合いからの差し入れもあり、物乞い旅のタイトルを付けなかったのは正解であった、と感想を述べておきます。■

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