世界~ あの街ぶらぶら歩き
★スペシャル
南極やヒマラヤ、オーロラ見物とか、辺境や極地に行っても、日本人がいるといわれる昨今、だんだん地球は狭くなりました。
いつものふたり(ナガサカとオバケ)の旅とは異なるアングルの、私も、オレも、あちこちフラついてるよ、美味いもの食べたし、いかがわしい場所にも行ってみた。たまに、忘れられないような、沁みる情景を眺めたこともあったろう。
それもこれも、弟子屈町川湯からはじまっている、といったらいい過ぎでしょうか。ユニークな海外の旅の姿を紹介します。
法被の思い出
真くん(堀 真也)
アーミーの上下に巴紋の法被を纏い、足は下駄履きモジャモジャ頭。これが1976年野村川湯YHヘルパー「真くん」のいでたちでした。
なぜか? 他に着る物も、靴もなく、床屋さんへ行くのも面倒だった結果こうなったのですが、本人はけっこう気に入っていたんですよ。なかでも背中に巴の紋が入った法被はお気に入りで、いつも着ていました。襟に「中標津神社例大祭」と書かれたこの法被、とうさんから貰ったことは確かなのですが、いつ頃、何のきっかけで貰ったのかすっかり忘れています。頭の中が毎日お祭りみたいな私だからくれたのでしょうか、あるいは連泊者を巻込んで大騒ぎした「野村川湯小学校第1回七夕まつり」の時に「まつりならこれがあるぞ」と、出してきてくれたような気もするのですが、ともかく白地に黒い巴紋のインパクトがお気に入りで、毎日着ていても飽きることはなかったのです。
その年の秋、ヘルパーの仕事も終わりユースを旅立ちました。ここからは道内をひとり旅、もちろんこの法被は離せません。汽車の中では年配の女性に「今日はどこでお祭りがあるの?」と聞かれたり、旅先で出会った人達はきっと変な奴だなぁと思ったことでしょう。でもおかげでどこへ行っても目立ちましたし、宿では初対面の人達ともすぐ仲良くなれました。冬が近づいた頃に故郷岐阜に帰るのですが、東京までは旅の途中で知り合った仲間達と一緒です。もちろん私は法被姿でした。でもさすがに故郷までは着て行けません。だって、故郷での私は常識人ですから。
国内は北から南まで旅した私ですが、海外に行ったことはありませんでした。そこで目指したのが、初海外アメリカ横断です。30日間の一人旅、この法被と共に出掛けたのです。25歳の時でした。
それからも数回、この法被と旅行をしました。
でもいつの間にか見当たらなくなっていたのです。すっかり色褪せて生地も薄くなっていた法被は、狭いアパートの中をいくら探しても見つかりません。なんとなく「次のステップに行きなさい」と言われた気がしました。
法被を思い出すたびに「はーた持って、旗もってー」の声が聞こえてきます。大切な大切な法被の思い出です。真。■
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