高田さんに
会うために〈下〉
|ここより前は……
ここは陸奥の国、天間林村(現・七戸町)だ。
真夏の昼下がり、雑木林みたいな庭の樹々が落とす木陰のなかに、高田邸は涼しげに、ひっそりと建っている。
昼餉のあと、ゆっくりと茶を飲んでから、家主を誘い、ここより少し足を伸ばして、梨次郎一行らは、小川原湖まで散策に出掛けてみようよ、となった。
いつも地図を眺めては、見知らぬ彼の地を夢想するのが好きだった少年の頃の高田芳雄さんは、高校に進学すると、学校からの帰りに、この湖が見下ろせる丘に登っては、草っ原に座し、飽きもせず、時を忘れてひとり過ごしたという。この湖の先に拡がっているはずの、海の向こう側を思い描き、ひょっとして将来を憂いていたのかも知れないし。
「おもいきり泣かむここより前は海」 寺山修司
同郷の、隣町に生まれ育った劇作家にして歌人の寺山修司も、やはり、この小川原湖を眺めつつ、多感な青春期を過ごしたに違い。でも、振り向いても、振り向いても、そこに夢はない、というよりも、高田さんは、故郷にも、家にもどうにも馴染めずに、太い縄につながれたみたいな、息苦しさのようなものを常に感じ、暮らしていたらしい。
幸い成績もよく、千葉の大学に進学してはみたものの、しっくりとこなかった。ここではない、これではない、と、いつも落ち着かなかった。馴染めずに、生き難くさを感じていた。それが大学を辞め、旅をはじめるきっかけのひとつになった、という。
同級生たちは、進路を逸脱することもなく、やがて職を得て、社会にすーっと溶け込んでいくように見え、だがそのことに、羨ましくも、妬ましさも、ちっとも感じていなかった。それぞれが決めて選んだ路なんだから、それでいいのさあ。
|淡々と、潔く
夕方になり、そよと、涼しい風が吹きはじめたのを見計らい、ぶらぶらと、高田邸の周囲を皆で歩いた。
四季折々に、そこらの樹木が姿や色を変えてよ、綺麗なんだわ、と、高田さんは国言葉の、軽い抑揚とともに、嬉しそうにいった。秋になればな、そこのナナカマドやカエデがなぁ、など、仙人みたいに梢を見上げているし。一角に、小さな家庭菜園のような、区分けし、耕された場所があった。
夏野菜でも育てているのだろうと思うと、ホオズキやアサガオとか、カエデの実生などあるばかりで、食卓に上るものはなにもなかった。ナスやトマトやピーマンなんかを植えてれば、新鮮で、腹の足しにもなり、とも思うのだが、高田さんには、どうやらそんな欲も関心もまったくない。ただ植物たちの生長や変化を楽しむだけで、充分、満足そうだった。……なんかねぇ、もったいないよなぁ、と、梨次郎など、俗人たちには感じられた。
勝手場では、オバケとネズミが、スーパーで調達してきた材料によって、手際よく夕餉のための加哩飯を作りはじめていた。
猫も含めて全員が賑やかに台所に集まり、なんだか高田さんも、90歳を越えた慈母も、嬉しそうだった。やっぱり、懐かしい仲間たちと一緒に食べる飯はいいものだ。
とくに母堂は「なんにせよ、この家には、オナゴの来客が珍しいのさぁ」とかいって、カラカラっと笑っていた。それにはオバケまで、満更でもなくえらく喜んでいた。
ネズミとオバケは、川湯で高田さんを見知ってはいても、ほとんど話す機会がなかったらしい。ホステラーの近くに、矢鱈には近づかず、遠くから眺めるのに居心地のよさを感じていた高田さんだから、きっとそうなんだろう。
なにを話せたにせよ、今日はここで、ゆっくりと語りあえ、互いの様子を確かめ合えたことに、永い、時の流れが感じられたのは、誰しも同じようだった。
高田さんが、旅の先々で短期の職を得て、それがひと区切りすると、また、次の、別の土地を目指して旅をして、という暮らしをしなくなって久しい。できなくなった、といった方が正しいだろう。
そばにいて、なにくれとなく老いた母を手助けしながら支え、猫たちの世話もしなければならないし、庭の樹々や家の手入れなんかも必要だろう。今の高田さんには、故郷の村に留まってやらなければならない、果たすべき義務があったのだ。
もう、かつてのように旅には出られない。長く旅を続け、漂いながら生きて来たのかも知れないけれど、そういう生き方について高田さんは、俺は、なんの後悔もしてないしなぁ、と気負いなくいった。本当だと思った。
スマホもPCも用いず、テレビも映らずラジオに耳を傾け、母親に付き添って、遠方の病院にはバスで通っているけれど、それら一切を受入れていた。でも、そういう毎日の暮らしにも、なにかが起こり、出会いの連続で、それこそは前から途切れずに結ばれている旅を、ずっとそのまま続けているような高田さんの人生なんだろう、とも思えた。
高田さんは故郷・陸奥の生家にて、とても穏やかに、幸せそうに暮らしていた。
世に喧しい、たくさんの電子音や、増収増益とか拡大や縮小、正規・非正規などの基準には交わらず、安っぽい誇りや、傲慢などもない高田さんなりの人生を、淡々と、潔く、貫いて歩いている。こういう生き方もあるんだな、と、思ったら、胸が詰まりそうになった。
そろそろと、名残惜しくも暇乞いをし、さて、出立の準備も整ったようだ。
梨次郎は駕籠に乗り込む前に、腰のあたりを手探りし、オバケとネズミに、きび団子をひとつずつ、手渡した。なぜ、今ここでそうしたのかは、はっきりとは知れなかったが、どうやら、いたわりの気持ちが湧いたようだった。家来たちが、同士、または仲間にでもなったように感じられたのだろうか。
一行は、その次の「幸せの形」を探しながら、蝦夷地に向けて津軽海峡を渡るために、八戸の港へと、駈けだして行った。高田さんが、いつまでも手を振っていた。■〈了〉(か)
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