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摩周という名前です
昭和50(1975)年8月19日(火)

 

僕の友達に加藤摩周というやつがいます。摩周という名前なんです。名前からして、純情でおとなしい役を連想しがちですが、全く反対です。一度、摩周湖の水をのませてやろうとここまで来ました。

明日、わが市の代表上尾高校が、甲子園であの、東海大相模と闘います。たぶん勝ちます。あさって新聞を見て下さい。(栄一)

ヤクルト初優勝おめでとう!(悟)

 

埼玉県上尾市今泉3××

河原塚悟 15才

埼玉県上尾市柏座2-7-××

斉藤栄一 15才

前回の本記事にて「記されたのは、住所と名前のみ」としましたが、このノートの次ページには上記のような記載がありました。斉藤栄一と河原塚悟にお詫びします。

 

オレたちはヘビを見た
昭和50(1975)年8月20日(水)

 

オレたち2人は、千葉の市川からきたのだ。

オレたち2人は、フェリーにのってきたのだ。

オレたち2人は、男だ。

オレたち2人は、高一だ。

オレたちふたりは、今日ヘビを2ひきみた。

 

オレ 野田和宏(16才)市川市平田3-××-×

キミ 荒川泰広(16才)市川市市川南2-×-×

どこでヘビを見たのかは、書いてありません。8月下旬になって、急に高校生たちが増えてきました。

 

博多からやって来た3人組
昭和50(1975)年8月24日(日)

 

台風サンが北海道なんかにやってきたんですヨ。

はるばる博多からやって来たのにサ……。

お天気サンは意地悪オジサン。

早く、早く、お日様サン、出て来て下さい!

かおる

 

北海道って広いネ-。

広大な自然……。

この自然の中でぐっすり眠って

こんど目が覚めた時には

この自然と同じように広ーい心をもった子になりたいなー。

博多のCoCoでした。

 

もともと私はのんびりさん。

北海道は広くってまたまたゆったりなってくる。

スピード時代のこの世の中

1人くらい 私みたいなのがいたって……

よーーーし、いっぱい いっぱい たべてくゾ。

Etsu

 

博多から来たという、かおる、CoCo、Etsuの、独特の甘えと感傷と自己憐憫を読んでると、オジサンの背中はザワついたりして。

 

ああ、憂うつ
昭和50(1975)年9月9日(火)

 

どうして、こう雨ばかり降るのかとなげいていたの。でも今日は、ひさし振りに、おてんとうさんの顔を見て、とってもまぶしく、とってもなつかしくうれしかったよ。

明日も晴れるといいのになぁ。でも少し位い(ママ)、霧のかかっている摩周湖のほうが、ロマンチックでいいですね。

この旅に来て、よかった? わからない。ただ京都から、あの人から逃げたくってやって来たけど、でも、完全に逃げ切るという事は、できないね。もしかしたら新しい土地へ行けば何かあるのではと思い、やって来たのだけれど、そう簡単にふってくるものでもないしね。

日数もあと半分。その間に、このまま、この大自然の中で生きていくか、それとも又、京都に帰って同じ暮らしを続けるのか、決めなければ。

あの人はいったの。自然の流れに逆らってはダメだと。別れる時が来たっ、別れる、とね。

この大自然の中に私の求めているものが果たしてあるでしょうか。私にもわからない。いったい何がしたいのかがね。

お金も少なくなったし、ああ、ゆうつ(ママ)やな。人は何故、生きなければいけないのか? わかる人、手をあげて下さい。 終り

 

9月になったせいでしょうか、旅人の気持ちも、真夏とは違ってきた感じ。……旅の目的も、生きる目的も、いろいろですしね。どうか自分自身で解答を導いて下さい。

 

YH運動発祥の地から
昭和50(1975)年9月12日(金)

 

3Deutsche reisten 14 tage durch Hokkaido. Es war fur sie eine schone zeit:eine herrliche gegeno und nette japaner,Besonders der herbergs vater von Kushiro YH!

Vielen dank und aufwiedersehn!

3人のドイツ人で、北海道を14日間かけて旅をしました。素敵な出会いと、素敵な日本人に、また釧路YHのお父さんとは、よいひと時が過ごせました。

どうもありがとう、そして、さようなら!

Rainer,Jurgen + Hannna

ライナー、ユルゲン+ハンナ

川湯の父さんと話したら、もっと愉快な、素敵な時間が過ごせただろうにね、残念。

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